ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

揺り戻し

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 台風15号というのが足早にむかってきているというのに、外は入道雲が黙々とあがり、真っ青な空で、真夏がユリ戻ってきている。昨日も実に暑い日で、そんな中スーツを着てパーティーに出かけたものだから、暑くて暑くて、途中から段々気持ちが動かなくなってき、妙に汗をかいた。こりゃいかん、これではひょっとするといわゆる熱中症になってしまうんじゃないかと、タクシーで帰ってきた。家につくなり水を飲み、シャワーを浴びた。下着は汗でびっしょりになっていた。しばらく身体を解放していると段々収まってきたものの、あまりの辛さに、銀座での友人のバンドのライブを欠席した。こんなことは初めてだった。今日の湯島天神での「謝落祭」もやっぱり欠席だ。あまりにつらい暑さだ。ずっと冷房の中にいると、あとでてきめんで腰に来る。早く秋になって貰いたい。

中学

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 また昔の話をアップしておこう。
 小学校は三ついったんだけれど、中学は二つで収まった。といっても中学なんて三年間しかないからね。はじめの中学は清水に住んでいた時のことで、静岡大学学芸学部附属中学を受験して落っこちて〔これがケチの付きはじめで、ここから先進学期には必ず落っこちている〕、東海大学第一中学校と云うところにいった。小学校の正に延長線上にいた。ただ遊んでいた。そういえば暮らすに剣道部の剣持くんというのがいて〔まるでマンガみたいだけれど、あの辺には「剣持」という苗字は多い〕、彼に防具を全部着けさせて貰ったことがあって、結構気に入っていた。あのまんまいたら剣道でも始めたかも知れない。しかし、一年経ったら、上の姉が大学浪人をするといって家族は稼ぎ手の親父を残して横浜へ帰った。それで私は横浜へ転校する。関東学院の三春台にあった中学の編入試験を受けた。ここは受かったけれど、母親が私の知らないうちに大森の区立中学へ越境入学させた。遊んでいただけの静岡の中学から、区立中学なのに、やたら進学系の中学へ転校したので、全くついて行けていないことが暴露されてしまった。焦ったおふくろはどこかから英語の塾を探してきた。これが大当たりだった。俄然やる気になった。あっという間に英語は得意科目になった。ところがまんべんなく勉強をするとか、まんべんなく授業を良く聞いているというような、性格じゃないから、どんどん他の科目がおろそかになる。暗記しないとどうにもならないような、音楽の問題、美術の問題ができない。この四小節の音譜を読んでどの曲の冒頭か、横に書いてある曲名と線で結びなさい、というような問題ができない。これが徒になって都立高校の志望校に落ちるという、情けなさだった。ところが今になったら、辛うじて音譜を読むようになった。遅すぎる。55年ほど遅い。あの頃こうだったら、どこでも都立が受かっただろうに。その分、楽しんだってことだろう。
 二つ目の中学は二年間いたので、さぞかし同窓会なんかの連絡が来たりしても良さそうなものだけれど、多分生徒の数が多すぎて誰も把握していないんだろうか、全くそんな連絡が来たことがない。当然最初の中学だって、卒業したわけじゃないんだから、誰からも連絡はない。
 実は小学校だって、どこからも何の連絡も来ない。高校は何年か前に集まりに声をかけて貰ったが、その後は全く声がかかってこない。あんまり良い記憶がみんなに残っていないってことだろう。生意気だったのかも知れないなぁ。多分そんなところじゃないかなぁ。謙虚に生きてきたか、そうでなかったかはこんなところに現れてくるっていう訳なんだろう。

披露

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 柳家権太楼の弟子、柳家ほたるが今月「権之助」として真打ちに昇進するというのでそのお披露目のパーティーに呼んで貰った。関係者はみんな知っているんだけれど、彼はTHE ALFEEの大ファンで、中でも坂崎幸之助に心酔していて、坂崎に心やすくして貰っている。ツアー先にまで出かけていって、一緒になってご飯を食べたりまでしている。それで「之助」を坂崎から貰い、「権」を師匠から貰ったというわけだ。でも、坂崎によると「あれは芸名で本名じゃないから気安くあげた」という。本音かどうかわからないけれど、坂崎の本名は幸二という。実家は東武亀戸線と旧中川の間の立花6丁目にある酒屋〔今は既に廃業〕で、彼は次男坊だった。この繋がりになんで私が絡んでいるのかというと、学校時代の先輩の甥っ子がやっぱり坂崎の大ファンで、坂崎と権之助の繋がりを造ったから。
 披露宴では、坂崎が権之助に贈った後ろ幕が張られていて、関係者からやっぱり贈ってもらった幟が何本も飾られていた。パーティーが跳ねてからは、場所を移して、総勢8名の二次会に。権之助夫婦も加わって、話が弾んだ。坂崎の蘊蓄にはみんな頷くばかり。
 やっぱり難しそうだけれど、面白そうなライカの話、ビートルズビリー・プレストンが加わって、雰囲気が一気に変わった人間関係、という話になって、あぁ、やっぱりそういう効果ってあるんだなぁと激しく同意した。

夏じゃん

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 朝から厳しい陽射しなんだよなぁ。夏はもう結構です!って云ってんのに、なんだよ、これ。空の青さが、これでも秋だっていうのか、どうだ、参ったかといっている。いやになる。その上、治療中の歯の仮詰めが案の定ポロッとはがれちゃって、ぽっかり空いた穴を舌の先で触るとゾッとする。慌てて歯医者にいってやり直して貰った。120円だった。
 日産の西川には呆れ果てるでしょ?ゴーンと同じじゃないか。やっぱりな。汚ぇ奴だ。そしてテレビのニュースが西川を映したら、両脇にSPらしきごっつき男が憮然とした表情で立っている。悪い奴は自分が襲われる可能性を自覚しているらしい。そういえば安倍晋三の廻りにもSPみたいなのがいる。

 香港の民主化デモを日本のネット右翼が応援している。えっ!どういうこと?と思ったら、アンチ中国共産党というスタンスだというのがわかったが、その連中が日本国憲法をいじって独裁政治を目指して邁進している日本の自由民主党を支持しているんだから、その論理の破綻に目が回る。大日本帝国ってのはどう見ても独裁全体主義国家だったじゃないか。

 京急の神奈川新町の駅の先の踏切ってのは、品川から来るとかなり前から見えると思うんだよね。トラックが見えたのはどの時点なのか、というのがポイントになるだろうけれど、見えたけれど、こいつは踏切から出るだろうと、もし運転手が思ったとすると、これで急ブレーキかけて、停まったとするとそこから走り始めるためには点検してから、ということになって、かなり面倒なことになることがわかっているから、「出ていくだろう」という判断はあった可能性があるんじゃないか?

 ボイストレーニングが今週もあって、来週もある。原則隔週なのに、どうしてここのところ毎週あるのかというと、15日〔日〕に会場として使っている社会教育館のフェスタがあって、有志6名プラス準レギュラートレーナーの7名で人前で唄うということにしているからだ。全部で13名のメンバーなんだけれど、なぜか残りのメンバーは参加しない。今年も12月の第一金曜日の夜にクリスマス&年末唄う会をやることになった。

ガラケーの限界

 段々ガラケーでは持っていても、ただ電話ができる、というだけになってきた。あ、万歩計にもなる。昨日は8,062歩歩いていたことが判明した。ただそれだけでも良いんだけれど、ガラケータブレットを持っていても、役に立たない、という局面があることに気がついて来ちゃったのである。米国はダフ屋が公認で、ダフ屋無しではスポーツやエンターテインメントの切符がさばけないらしい。で、そんな公認ダフ屋がみんな切符をスマホへの直接配信ですましている。紙に印刷した奴じゃダメだ、までいっている。数年前まで、タブレットに落とした切符ですら処理しきれなかったことが嘘のようで、これはさすがにアメリカだけじゃないだろうか。StubHubもticketmasterもスマホを持っていないと買ってしまったらえらいことになる。長蛇の列に並べばどうにかなるとStubHubもいっているけれど、あそこの日本法人はそこまで理解していない。こうなると、スマートフォンを持っていないと楽しむこともできない。そこへいくと、Metropolitan Operaはちゃんと紙に印刷して持っていくと、切符を出してくれる。爺さん婆さんが多いから、mobile配信だけにしたら、みんなやっぱり困るんだろうな。
 面倒くさいから古いiPhoneにしようかと心が揺れていたところへ来年春には新しい機種が値下げして出るという噂が飛んでくる。困ったもんだ。

出かけた

f:id:nsw2072:20190905033018j:plain:w240:left 昨日はとにかく涼しいから出かけようと、身支度をしていたら、かあちゃんも行くというので、久しぶりに二人で回転寿司にいった。なにしろ都バスに乗れば、例の奥の手があるので気が楽だ。しかし、近頃のバスは座席数が少ないんだよね。一番後ろの座席は中途半端なれど、今でも5人席。しかし、両端に爺がひとりずつ、なんだか威張って足を拡げて座っている。で、その真ん中に婆さんがふたり中途半端に隙間を空けて座っている。詰めればもうひとり座れるのに詰めない。その婆さんのひとりが降りたから、左の爺さんに「失礼」と声をかけながら、きっちり詰めて座る。普通だったら「あっ!」とかいって端へ詰めるんだけれど、この爺、頑なに、足を拡げて座ッたままだ。こういうのがいるんだよなぁ、意地でも動かねぇの。バカだよねぇ。途中で私は降りたけれど、奴は意地を張ったまま終点までいったんだろう。
 先月病院へいった時に、血圧を測ったら、唯一健全そのものだった血圧が急に高くなってきた。長野へ出かけている間に、プールで半時間ほど歩いたら、出たところに血圧計があったから図ったら、やっぱり高い。しかし、血圧なんて、時と場合によって随分上下するんだとはわかっている。それで、機能の健康診断の時に、測って貰ったら、やっぱり前よりも数段高い。どういうことだろうと医者に聞くと、自宅でマメに血圧を測って経過を見て下さいという。そういえば前にもそんなことを云われたことがあった。じゃ、買いに行こうと、家電量販店にいってみた。
f:id:nsw2072:20190905033234j:plain:w240:right パナソニックオムロンのものが目白押しに並べてある。医者がちゃんと二の腕を巻く奴じゃないとダメだといっていたが、それにしてもいくつも並べてある。ためつすがめつ、タブレットで情報を見比べているところへ、暇だったのか、女店員さんがやってきた。その人は中国人だった。もちろん日本語ぺらぺらなんだけれど、それだけ、こういう商品が置いてあるあたりにはその筋の観光客の人がたくさん買いに来ていたということなんだろう。それまでのポイントがあったので、3割引くらいで買った。家に持って帰って数回測ってみるんだけれど、やっぱり上も下も前よりも高い。心配になってきた。

f:id:nsw2072:20190905032833j:plain:w120:left 帰りの都営地下鉄に乗ると、座席が全然空いていない。優先席のところに来ると、突然前に座っていた若い男性が立ってくれた。良く見ると、多分軽い知的障害がある人で、廻りに彼の仲間が他にふたりいた。「本当に良いの?ありがとう!」といって座る。二つ目の駅で席が空いたので、彼らのために席を詰めた。すると、彼らは「すみません」といった。降りる時に「ありがとうね!」といって分かれた。よく見ると彼らは鞄に赤いヘルプマークをつけていた。それなのに私に席を譲ってくれたのだった。多分周りの人たちは、そのあたりを全く見ていない。みんなが見ているのはスマホ

落語

 さて、私の落語との繋がりなんですがねぇ、ご多分に漏れないのでしょうけれど、最初は先代の三遊亭金馬です。あの金歯がきらっと光る、つるっぱげ、今でいったらスキン・ヘッド〔これは英語じゃなくて日本語だそうですが〕のあの金馬です。というのは彼はNHKの専属だったそうで、そればかりラジオで聞いていたらしい。実は小学校の3年生の時だったかに、私は陽転して、つまり、結核を疑われて(本当にそうだったのかも知れませんが)苦い薬を毎日飲まされ、うちの中では外れの四畳半にほとんど隔離状態で、日がな一日、布団に横になって、電蓄でラジオばかりを聞いていたからなんですね。

 当時はほとんどNHKしか聞いていなかったような記憶なんです。ラジオ関東はまだだったけれど、もちろんラジオ東京文化放送ニッポン放送もあったはずなのに、民間放送の記憶は全くない。せいぜい「ちゃっかり夫人とうっかり夫人」くらいのものか。ラジオドラマも、相撲中継も、そして落語だって浪曲だって、「尋ね人の時間」だって、みんなNHKの記憶しかない。NHKの第二放送ってのが教育番組局で、小学生向けの番組もいくつか放送していた。そのうちのひとつが、「マイクの旅」という番組で毎週新しいところを「マイクさん」が出かけていくという番組。そのマイクさんは、渥美清の「男はつらいよ」で知られるようになった、あのタコ社長の太宰久雄だった。この番組は週の後半になると再放送があるのだけれど、その再放送まで聞いていた。

 今じゃネットを探しても見つからないけれど、横浜駅の西口にも寄席があった。横浜駅の西口側はかつては単なる砂利置き場で、私が物心がついた頃は、乗降口としては仮のものだった。だから、開いている時間も限られていて、下は砂利だらけだった。それが1956年4月2日、横浜駅西口名店街と高島屋ストアができた。高島屋の裏はローラースケート場だった。とはいえ、ただ、楕円形にコンクリートのコースができて、廻りは木の柵があるだけだった。相鉄がビルを建て、高島屋がビルになったころ、田舎からやってきたいとこの大学生と二人で「相鉄寄席」なるものに入ったことを想い出す。それは私が中学生だった頃かも知れない。私の生まれて初めての寄せた意見だった。その時高座に出てきたのが林家三平だった。しかし、まだあんなに爆発はしていなかった。演じたのは唐茄子屋政談だった。それだけを覚えている。林家三平をテレビ以外に生で見たのは、多分それから10年ちょっと後、浅草演芸ホールだった。昼席だっただろうか。落語が落ちてきた頃で、城内がガラガラだった。



波多野栄一 百面相 昭和の至芸

 波多野栄一という百面相のお爺さんが出てきたのがとても印象的だった。当時もうすでに70歳くらいだったのだろう。とにかく後にも先にもあんな芸というものは見たことがない。戦前はかなり受けた芸人だったらしい。その頃はトランクを前に置いて、そのふたの陰で、扮装を造って、一人で金色夜叉をやったり、ハットを被って「ジョン・ウェイン」なんてやっていた。今彼のことを話してもほとんど覚えている人がいない。
 中学生の終わり頃、姉が巧いこと父親を口説いてSONYのオープンリール録音機を買った。しかし、それが一番活躍したのはラジオの落語の録音だった。高校生になってからは、友達が買ったビートルズのレコードのコピーに活躍した。おかげで、落語の速記本も知らないのに、落語を覚えた。それをもとにして、高校三年の時に、二年生の小柳くんの口車に乗って、高校で初めての落語研究会を造った。学校祭でかけたのは寄り合い酒だった。小柳くんはませた高校生で、なんと「死神」をやった。こ音を引き受けて下さった先生は国語の先生なんだけれど、名前を失念したままだ。

映画「杉原千畝

 WOWOWで真夜中にやっているのを途中からつい見てしまった。唐沢寿明が千畝で、小日向文世が駐ドイツ特命全権大使大島浩で出てくる。頑迷の象徴みたいな軍人だったという印象しかないのだけれど、ポロッと本当はそうじゃない雰囲気を醸すセリフが出てくるのが、許しがたい。彼は小野寺信の情報も握りつぶした日本を壊した元凶の一人。

小学館

 今日は朝から、小学館週刊ポスト嫌韓特集を載せ、しかもそのタイトルが「韓国なんて要らない」なんという不遜なものだったものだから、フェアネスを語る人たちからは総スカンを食らっている。内田樹を筆頭に、もう小学館には書かないという宣言が相次いでいる。さもありなん。
 しかし、小学館だけではないかも知れないけれど、編集者の中には驚くほどの人種差別主義者が平気でいたりする。それは編集者の世界だけではないのかも知れない。どんな業界でもそういう人はいるだろうけれど、出版業界の、それも始まりが教育雑誌だった出版社の編集者にあんな偏見の持ち主がいたことにはとても驚いたことがある。彼とは、結構同じ店で酒を酌み交わしたことがあるが、あまりの偏見に、声を失うことしばし。それでも、それはそれで、酔っ払いの放言である。しかし、それがこうして週刊誌の特集となり、その中吊りが各新聞の広告に掲載され、電車の車両にぶら下がれば、それは戯れ言では終わらない。立派にその雑誌の主張であり、ひいてはその出版社の主張となる。いくらすぐさま「誤解を広めかねず、配慮に欠けておりました」とコメントしようと、その言い訳は通用しない。幻冬舎や月刊hanadaじゃなくて、天下の教育雑誌で知られた小学館なんだから、もはや日本の出版業界が貧すれば鈍する状態なのだととられても致し方がないだろう。私はもう既に新潮社の出版物には手を出さないことにしている。講談社も万全とはいえず、文藝春秋は両面作戦でズル賢いところを渡り歩いている。筑摩と岩波くらいしかまともな大手出版社はなくなりつつある。

 病院で区の健康診断。ところが通常の診察もあって、血液検査の追加を頼んだら、意外と高い。整形外科の方も含めて、今日は5千円近く払った。段々と診療費もバカにならない。この上、安倍晋三の馬鹿たれ政権は介護保険も対象をどんどん狭めて、なし崩しにして、保険料だけは取り上げる算段をしている。本当に国民を守れる政権にしなくては。安倍晋三の「明日を拓く」ってのは大企業と金持ち目線だけだから。