ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

成人式

 テレビはどこも成人式のニュースが満載だった。浦安のディズニーランド成人式、北九州のまるで仮装行列みたいな成人式、大熊町出身の人たちの成人式、それぞれに考えさせられる成人式だった。「立派な大人としての責任を果たしていきたい」的な優等生的な発言をするひとたちには感心させられる。なぜかというと、自分のその当時を振り返ると、全くそんな意識を持っていたとは思えないからだ。
 成人式を通り過ぎようと通り過ぎまいと、なんにも変わらない日常が続くだけだと思っていた。そのままぼぉ〜っと日常が続いていた。あの時、高校時代の友人たち数人で、明治神宮へ、というか原宿へぶらぶらといった記憶がある。どこか喫茶店に入って、駄弁っていたような気がする。当時、そうした場所の喫茶店は「お正月料金」なるものを平気でとっていた。大学受験寸前だったのだろうか。だからなのか。その年の父親が大学の同級生と交換している家族写真には、私のところに「臥薪嘗胆中」と書いてある。

 その後の数年はまったく自分の人生について真剣に考えていなかった。流れに流され続けていた。流れに棹を差したのはそれから30年後のことだ。そんなに長いこと、自分の人生に真剣に向き合わなかったなんて、今となっては、取り返しがつかない。気がつくのは早いに越したことはない。しかし、若い力が思わずほとばしってしまうことは止められない。ゆっくり気がついたって、気がつかずに人生を終えるのに比べたら充分だと思う。わたしが相当ゆっくり気がついたといっても、それとて、本当に気がついたのかどうかはまだわからない。多分誰にもわからずに、時間だけが過ぎていくんだろうと思う。そして誰の口にも上らなくなる。こんなことは若い時には思いもしなかった。前途洋々だった。

 その点でも今の若者たちに、申し訳なく思う。今の日本はもはや「前途洋々」とは言い難い。少しでも抗っていかないと申し訳が立たない。

NFL

 今朝の最初の試合はとんでもない試合になっちまった。前半終わったら28-24で、両チーム合わせて52点だ!バスケットじゃあるまいし。しかも、試合が終わってみたら51-31でカンサス・シティーが勝った。合計82点だ!プレイオフでこれはないだろう。
 二試合目も前半は一方的になってしまい、Green Bay 21 - 3 Seattleだ。結局後半追い上げたけれど、28 - 23でSeattleが負けてしまい、San FranciscoとSeattleの今シーズン三度目の対戦は実現されなかった。
 これでAFCはTennessee 対 Kansas City、NFCはGreen Bay 対 San Franciscoということになった。私のSuper Bowlの対戦(希望)はTennessee 対 San Francisco!

NFL

 今朝、そして明日の朝、NFLはディヴィジョン・チャンピオン戦になっている。そして日本時間で来週の月曜日、20日朝にはAFCそしてNFCそれぞれのカンファレンス・チャンピオンシップが行われる。そして日本時間で2月3日にフロリダのマイアミで第54回のSuper Bowlがある。温かいところでプレイができるというのは選手にとってはかけがえのない喜びだろう。雪の中のSuper Bowlほど気の毒なものはない。
 Super Bowlの一週間前には必ずハワイでPro Bowlがある。これはSuper Bowlに進出した二つのチーム以外から選出されたオールスター選手によるカンファレンス対抗の試合で、NBAのオールスター試合のように派手に点が入ったりする。
 だからこの時期は日曜日、月曜日は早朝からテレビにかじりつき、試合が終わると眠くなって午前中をだいたい棒に振る。というのが今日の新宿のデモに行かなかった長い言い訳だ。
 San Francisco 49ers 27 - 10 Minnesota Vikings
 Tennessee Titans 28 - 12 Baltimore Ravens

羽田と成田

 今やオリンピックを理由にして、羽田空港の利用幅を大きく拡げたので、この3月からは大田区やら世田谷区の上空をどんどん飛行機が飛ぶようになるそうで、デルタ航空なんぞに至っては成田全面撤退して、全ての便を羽田発にするという。アメリカの航空会社、その他のユナイテッド、アメリカンも全て成田撤退である。
 じゃ、なんであの時、羽田をどんどん拡げることにしないで成田を無理矢理開業したんだろうか。三里塚の農家を無理矢理立ち退きさせて作った成田空港よりも都心に近い羽田の方が便利だってことは、先日の台風絡みで成田が孤立した時に、イヤというほど見せられた。全学連と云われた革命的学生運動活動家が何人も三里塚闘争で人生を狂わせた。「責任者出てこい!」と叫びたい。

ヴォイストレーニング

 昨日のヴォイストレーニング&唄の会はテノールの先生が本番のためにお休みで、挙げ句にメンバーのおひとりが並松から入院していたので、しばらく長期休みだというので、なんとなく淋しい2時間だった。いつもはテノールの先生にお任せっきりだったものだから、いざ先生がお休みだと云うことになると、いったいどんなことをやっていけば良いのかわからなくて、往生した。人を教えると云うことが自分が知ることになるんだと良くいわれることを聞いたことはあるけれど、こんなにあからさまにそれを知ることになるとは思わなかった。
 いつもの身体のほぐし、呼吸の練習、唇ぷるぷるとやってきたら、あとは唄うしかない。谷川俊太郎作詞、武満徹作曲の二曲が結構難しくて、何度も繰り返す。あとはドニゼッティの唄とサンレモ音楽祭の唄。時間をもてあます。皆さんもつまらなさそう。これじゃ、参加者が減るなぁ。

考えちゃうよ

  • バスに乗ったら、赤子を抱いているおかあさんが目の前に立っているというのに、横に荷物を置いて二人分の席を占領している兄ちゃんの気持ちがわからない。だから横に行って「ずびばぜん!」といって席を空けさせた。それにしても、おかあさんはなんで自分で「すみません!」って云わないんだろう。たぶん座りにくいんだろうな、赤ちゃんを前に抱えているから。
  • 神田神保町にあったパチンコ店、人生劇場が閉店したらしい。つうか、今まであったというのも驚きだ。あそこでとったLARKを吸ったのが浪人の時だったんだから、もう半世紀以上前のことか・・・。
  • 素人のバンドは、ヴォーカルは男よりも女性の方が良いよねぇ。何しろみんなの見る目が違う。だから、男のボーカルの素人バンドは受け狙いで、面白バンドで行くべきじゃないかなぁ。

訃報

 訃報というには遅すぎるけれど、今まで知らなかった。日本近現代史、中でも東京裁判極東軍事裁判研究者で立教大学名誉教授であった粟屋憲太郎先生が昨年9月に亡くなっていたことを知る。75歳である。老衰という年齢ではない。病気だったのだろうか。最後に粟屋先生をお見かけしたのは2008年11月のことだっただろうか。その年、私は粟屋先生の授業を聴講した。先生の著作は全て網羅していたつもりだったので、そこに書かれているもの以上を期待していったのだけれど、その授業がそもそも一二年生を対象にした授業で、全般的な概要に終始していて、私としては物足りないものだった。しかし、11月に豪州のメルボルンの大学で開催される国際学会のことを知り、Sydneyでやり残したことを片付けるチャンスだと、三週間ほど出かけた。学会は三日間ほどで終わったが、どちらかというと国際法学の視点からの学会だったので、隔靴掻痒たる感があり、消化しきれない部分が大きく、自分の限界を知るいちベージになったといっても良かった。しかし、いわゆる東京裁判極東軍事裁判の研究者の方々を知ることができた。勝者による一方的な断罪だとするいわゆる歴史修正者の皆さんがまなじりを決して対決しようとする人たちでもある。粟屋憲太郎先生の著作によって勉強したことは数知れない。

東京裁判への道 (講談社学術文庫)

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NHKスペシャル 東京裁判への道

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東京裁判への道(上) (講談社選書メチエ)

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東京裁判への道(下) (講談社選書メチエ)

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東京裁判における通訳【新装版】

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東京裁判――第二次大戦後の法と正義の追求【新装版】

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