ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

世の中は前に動いている

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先日、ソーシャル・ワークの世界で働く若い人たちとZoomで2時間ほどお話に入れて戴いて驚いたことがある。
かつてはそんなこと想像もしなかったのだけれど、今ではそのソーシャル・ワークの世界についても、コミックが出版されているというのだ。
まさか、こんなところまでコミックで描かれているとは思わなかったから、本当に目の当たりにして「う〜〜ん」と唸ってしまった。
考えてみたら、これほどわかりやすい業界ものはないかも知れない。
それにこれまでだって医療業界についてのコミックだって、家庭裁判所のコミックだってあったんだから、医療ソーシャル・ワーカーの世界や、役所の福祉行政生活保護担当者の世界を描くコミックだってあって不思議はない。
ひょっとすると世の中は驚くほど情報が行き渡り始めているのかも知れない。

それにしては、その世界で活躍する人たちの生活実態は前に比して改善されている風にはとても思えない。
現実に生活を送る人たちと、その世界を司る政治の世界とが大きく乖離しているということなのだろうか。
こんなに苦労して、目の前に暮らす人たちのために様々な手段を繰り出す人たちが、なぜ依り希望を持てる生活を送ることができないのだろうか。
明確にシステム作りをする人たちが、そのシステムを動かす原動力となる人たちを念頭に置いていないということではないかという気がする。
20年前に感じた「利潤を追求する組織体」は人を念頭に置いて動くことはない、という疑問はまだ、全く手つかずに、そのままになっている。
しかし、そういう現場をコミックにして商売になるんだとしたら、ひょっとすると変わる可能性があるということではないかという気がしないではないが、この分野に関心を持っている人たちは、これまでだって、投票していたのではないのか。
突然、これまで全く投票なんて行ったってしょうがないと思っていた人たちが、この分野がコミックになっていたからこそ興味を持って問題意識をつかみ取るか、といったら、そこはいったいどうだろう。

ところで、なんでうちの区の図書館には、ピエール・ブルデューの「ディスタンクシオン」の1はあるのに2はないのか、今度聴きに行って見よう。

ハグ

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英語ではHUGって書きますね。

COVID-19の前だったら、西欧人は親しい人と出会ったらよくハグをしていましたね。

私はほとんどそんなことをしたことがなかったんだけれど、1980年初めにUtah州のSalt Lake Cityという街でお世話になったKathyというおばさんが、お友達と二人で1990年頃だったかに東京に遊びに来たときに、別れ際にこれでもう逢うチャンスもなかなかないだろう、本当にありがとうといったら、「Give me a HUG」といってハグしたのがたぶん最初でしょうね。
なかなか日本人には恥ずかしいものでありますが、男同士でも手を背中に回して「お〜!」といいながらハグすることがもはや違和感がなくなりつつあります。

一度ハグになれてしまうと、この身体の接触は絆を感じることができる、というと大袈裟かも知れませんが、繋がりを感じることができるような気がします。ごく自然にハグをすれば良いのですが、どうしても日本人には「照れくささ」というものがあって、これがかなり大きな障害を作り出します。ハグだけじゃないでしょう。日本人は自然な気持ちを表に出すことに抵抗がある、といった方が良いのかも知れません。
素直にすれば良いのにね。

日本人が口に出して挨拶しなくなったのは、一体何の故ですかねぇ。
「ちょっと後ろをごめんなさい」といって通るということすらしなくなりました。
じゃどうしているかというと、何もいわずに避けるようにしながら無理矢理通ります。
しかも心の中では「なんでこんな邪魔なところに立ってんだよ、こいつ!」と思っているんです。
どうして口に言葉を出さないのですかねぇ。

しばらくお目にかかっていないもの

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この種のいわゆる焼き菓子というのでしょうか、もう何十年もお目にかかったことがありません。
1960年代にはなぜあんなに出回っていたのでしょうか。
だからといって今食べたいか、と聞かれたら、「別に・・」と答えてしまいそうです。
当時はきっと高級、あるいは洒落た、といわれていたのかも知れないですね。
そういえばショートケーキみたいなものも、もうかなり食べていませんねぇ。
きっと美味しいんだろうけれど。

食べたことがない

 今普通に巷で語られている食べ物の大半は全く食べたことがないものばかりで、インドなのか、ネパールなのか良くわかりませんが、各町内に2-3軒はありそうな「インド系カレー系」の食べ物屋にはほとんど入ったことがありませんので、それらしいものがわかりません。
そういえば、かつてアフリカの現場で働いていたスリランカ人の食堂では、毎食カレー味で、時として旨そうだなと思ったときには貰いに行っていたことがありますが、カレーだなんだというけれど、とにかく全部カレー味だった。

 近頃のラーメンの類いはほとんど外食したことがなくて、全く時流に乗っておりません。つうか、乗りたくないのはなぜかと思い返すと、たぶん背脂たっぷりラーメンなんてものが流行り始めたからでしょうね。それはいくらなんでも私にとってはラーメンというジャンルのものではなかったのですね。

ついに

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図書館から借りだした池波正太郎の文庫本。
とうとう見つからず、「日本の古本屋」で見つけて買ってきて、弁償した。

「紛失届」なるものを書かされ、図書館からは「弁償領収書」なるものを貰った。
黙ってそのまま出してきたが、この図書館の場合、書籍の返却はポストへの投入によるものだけなので、その投入口に放り込んだらそれでおしまいだ。人間が「確かから返して貰った」と確認しているわけではない。
だから私が放り込んだあと、どこかに転がり落ちていたり、誰かがどこかに放り込んで忘れてしまったら、返却チェックができない可能性だって残されている。
その主張をしなかったのだから、私がなくしたんであって、他の誰の責任でもない、と認めたということになる。
う〜むこれだけしょっちゅう図書館を利用していると、いろいろなことがある。

たぶん前にも書いたけれど、欠品になっている圓生のCDを寄付しようかと思って、おたずねしたら、「寄付して戴いても、その後貸し出しに廻るかどうかわかりませんよ」といった人がいる。
たぶんこの人は、「貸し出しに耐えられる品質でない可能性だってないとは限らない」をいっているのだろうけれど、この言葉は「ろくでもないものを持ってこないでね」に聞き取れてしまう。

この図書館経由で他の区の図書館の蔵書を借りだして、エラい目に遭ったこともある。まるで犯罪者を前にするかの如く、返却の際に一頁ごとにチェックされ、それを待たされた。それからは、お友達に教えて貰って自分で隣の区に借り出しに行くようになった。

今は全く一冊も借りだしていない。

なんで

 衆議院を解散した。大島が「解散する!」といったら、〔たぶん〕自民党の誰かが「ばんざぁぁぁぁい」といい、なん人もが万歳をする。あれ、なんだ?なんで万歳なのか。
バカみたいだよね。
しない人たちもいた。
あれは誰なんだろう。
維新はしなかったらしいが、他にもいただろう。
なにが万歳だろうね。

動物園

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随分久しぶりに上野動物園に行った。
予約をしないと入れない。
それも半時間ごとの区切りがあって、その間でないと入場できない。
だから、「そうだ、動物園に行こう」といっていけるわけではない。
それも、ついこの前までは土曜日の午前9時から、翌々週の予約をするというやり方だった。
動物園というのはそんなに前から、計画をしていくようなところではない、特に平日は。
緊急事態宣言とやらが解除されてから、一気にそれまでの3千人から6千人に入場制限が緩和されたそうで、取りやすくはなってきたが、これもまたいつ制限がかかるかわからない。

パンダ舎は表門から入って、すぐの昔からの場所にあるけれど、写真は禁止されている。
その代わり、西園に新しくパンダ舎ができていて、そこに一匹暮らしていて、そっちは写真は撮れる。

象の親子がいたり、変わった猿の子どもがいたりして、この辺はなかなか面白い。
平日はやっぱりゆったりと見て回れるのが良い。
もっともこっちは平日にやることがそうたくさんはない。
65歳以上は入場料は300円。

特徴的なのは、中年の女性の一人客が目立つこと、
やたらと長い望遠レンズをつけたカメラを抱えた青年たちが何人もいること。
こうしてみると、昔に比べたら平日にこういうところへ来られる人が増えたんだなぁと思う。

f:id:nsw2072:20211013204834j:plain:w360:left ハシビロコウが人気なんだけれど、平日だと、前にじっと立ち尽くしている見物人がそんなにいないので、何だか張り合いがなさそうに見える。あんなに大きな嘴を抱えていながら、脚を見るとこれが意外に細くて、便りがない。じ〜っと見ていると、向こうがこっちをじ〜〜っと見ているような気がしてくる。どっちがみられているのか。そぼ降る小雨なんぞものともしない。

f:id:nsw2072:20211013204952j:plain:w360:right 他の人がいたときはそうでもなかったのだけれど、他の人がいなくなって、私一人になった時に、ミーアキャットが突然小屋の外に出てきて、立ち上がり、ポーズを取ってくれる。これはどういうことかと考えてしまう。ひょっとしたら、手を差し伸べたら寄ってこないとも限らない気分になってしまう。

 暗い小屋の中に、暮らしている小さい動物たちのところへはいると、暗くて、しかもガラス越しなので、写真は撮りにくい。こうなると、かなり写真を撮り慣れている人でないと、巧くは撮れない。私みたいななんでもオートマ爺の出る幕じゃない。もう少し勉強して彼等を撮れるようにしたいところだ。

f:id:nsw2072:20211013205126j:plain:w360:left 帰りは弁天門にでた。その手前の蓮池の中に、本当に大きなオオタカが一羽、羽を休めている。羽が切られているんだろうか、と思ったので弁天門におられた係員の方にお伺いすると、なんでも40年ほど前に他から来たんだけれど、もう自分で飛ぶことができず、ずっとあそこで飼育員のケアを受けているのだそうだ。
 そこからそれほど遠くないところにはペリカンがいる。日本でペリカンを見るのは随分久しぶりのような気がする。豪州のあるビーチにペリカンが住んでいるところがあり、小イワシを餌にやったことがあるんだけれど、一度餌をやると、ずっとまん丸い目をしながら跡を追いかけられて往生したことを思い出した。

子どもの頃は動物園といったら、横浜野毛動物園か、東横線多摩川園でした。それは東横線でそれぞれ一本でいけたからですね。上野動物園の存在は知っていましたが、子どもの頃は入ったことはなかったはずです。では、一体初めて入ったのはいつか、といったら全く思い出せません。子どもができてから、でしょうかねぇ。まだちゃんと東園と西園の間をモノレールが動いていました。

人生を長く生きてきた、そんな一日でした。

見当たらない

近くの図書館から借りだした文庫本が見当たらない。
図書館からは延滞しているぞ、とメールが来た。
確たる記憶はないのだけれど、もう良いからと思って返却したんじゃないかという気がする。
ひょっとすると図書館側の記録の間違いじゃないかと思って、わざわざ図書館まで行って蔵書棚をチェックしたんだが、確かにそこにはない。
あんまり薄い文庫本だから、どこかに紛れているんじゃないかと、積読の文庫本タワーを全部ひっくり返してみたんだが、見当たらない。
弱った。