ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

連休終わる

 テレビが「これで大型連休も終わりです!」「明日からまた頑張りましょう!」なんてことばかり云う。正直いって私はそんなカレンダーで動いていないんだから全く気にする必要はないというのに、なぜか「・・・そうか、終わるか・・・」てな気分になる。全然そんな気持ちになる必要がないというのに。で、実は明日になったら出掛けなくてはならないところがあるのは事実だ。やらなきゃならないことがあるのも事実だ。GWなんて俺には全くなんの関係もないというのに。
 連休中の某日、日頃それ程お付き合いがあるわけでもないけれど、たまぁ〜にばったり集まりで遭遇する人のお宅でのBBQにお誘いを戴いたのだけれど、連れ合いの仕事もあるので、遠慮した。するとその人がご自分の日記に「連日のBBQ、この日は連れ合いが選んだ人選。雨でも屋根があるから決行、これなら屋根なんてなければ良かった」と書いているのを発見。

中国重慶大坪中学サッカー

 トルコで開催された世界学校別女子サッカー大会で圧倒的強さを発揮して優勝した中国・重慶・大坪中学チームの殆どがこの学校の在籍者ではなくて中国全土から集められたジュニア・ユースの選抜者だったという事件があったんだそうで、テレビで報じられていた。
 これを見ていて思いだしたのはかつての国体ではなぜか知らないけれど(実際は知っているけれど)地元開催県が必ず総合優勝したという馬鹿馬鹿しいほどのカラクリだ。
 当時地元に工場を持っている企業なんかでは各地のスポーツチームから優秀選手を転勤させてしまうのである。会社の人事異動の発表を見ていて、なんでこいつらがなんの関連もないあそこの工場に転勤になるんだろうと思ったら次の年の国体開催県だったという始末。
 それが世界大会と日本の国体の差があるくらいのものでその発想はどっちも同じだ。今だって社会人、大学だけでなくて高校にまでスポーツチームに外国人留学生がいるけれど、これもそのうち中学校レベルにまで下がるのか。それとももう既に下がっているのか。留学してくる学生がいるのを受け入れて何が悪い、という話になるんだけれど、それだったらもっと広く世界中から留学希望者が来てもおかしくないだろう。法的に問題になるかならないかという問題はないかも知れないけれど、フェアネスという点でいったらなんだか潔くねぇよなぁ。
 北京オリンピックの時にも書いたけれど、卓球の世界だと中国人の選手がどんどん世界各地に散らばって帰化してしまってオリンピックになると中国人の人たちの大会に化してしまう。法的には全く問題がない。ないけれど、なんとなく釈然としない。
 どうせわかりゃしないよ、とジュニア・ユースを召集したけれど、実は変じゃないかと書き始めたのが中国記者だというのがちょっと救いか。

地図表示

 「新型インフルエンザ」といういい方がどうしても「C型インフルエンザ」と聞こえてしまって、お〜、とうとうインフルエンザも肝炎のような記号がつくことになったのかと思っていた。
 この「豚」だか「新型インフルエンザ」の感染者が発見された国々を表示する地図がいつもの太平洋が中心になっているもので表示されると随分拡散しているように見えるけれど、大西洋が中心になっている地図で表示されると大西洋を挟んで集中している印象になる。どんな地図を使うかによって印象って違うんだなぁと思った・・・つうだけの話。

誰のためのデジタル化

 先日、これでようやくうちのテレビデジタル化計画もようやくその概要がわかったな、というので、今契約しているケーブルテレビのデジタル化を図ろうとサービスデスクの無料電話を回した。すると出てきた人はいくつものケーブルテレビの総元締めのコールセンターだ。
 説明を聞いてわかったのは、この総元締め、・・面倒だから具体名を出すと・・J.COMの話を聞くと、この地域のケーブルはついこの前J.COM系列になったので、来月からでないとJ.COMの共通サービスにならない。それまでは契約しているケーブルのそれまでのサービスだということだった。
 つまり、今契約しても、来月になるとまた違う契約になって、しかも月額が上がるということになるのだ。J.COMになって契約金額が上がるということだ。こんなの高齢者のひとり住まいだったら何をどうしたらどうなって、どんなサービスがどこから受けられるのか全くの話理解できっこない。
 デジタルに移行しないでいたら2011年7月になったらテレビが見られなくなるということになるのか。一軒一軒のお宅がそれぞれその後のテレビ生活を享受できるのかどうかというのは相当に大きい問題。
 これまでのアナログテレビがそのままへ移行してサービスされるのであれば、デジタル化することによって様々な恩恵にあずかれる人はどんどんあずかれるようになっていき、これまでのアナログ状態で別段何も構わない人はそれでいいじゃないかという選択肢が選べるわけで、それなら話はわかる。もっともっと良い画質で、もっと広い選択肢の番組から見たいという人はそれなりに払えばいいし、そんなのはどうでも良いからこれまで通りのテレビ生活が送れればそれで良いという人はそれを選ぶ、という選択肢だ。
 しかし、今度の方法だとアナログ放送テレビという選択肢を全廃しちゃうわけで、テレビを見たければ新しい受像器を買いなさいね、もう見られないから、というのははなはだ乱暴な話だと思う。チューナーを買えば画質や双方向性に問題はあるけれど、見られるんだろう。しかし、こんなことみんながみんな理解できるわけない。
 と、なると何が起きるんだろうかといえば、簡単に騙されちゃう人が出ちゃうんだろう。
 「テレビ局の方から来たんですが、今度テレビは買えないと映らなくなりますが、どうされますか?安いテレビを扱っていますけれど、買われますか?」なんちゃって寸借詐欺まがいのことをする奴が出てきてもおかしくない。
 この大移行が行われて取り残される人たちが出るだろうことは簡単に予想がつく。しかもこれで空いたVHFの使用方法についてまだ決まっていないという噂を聞いたけれど、そんな状態で国民に「さぁ、映らなくなるよぉ〜!」と脅し続けるのはやっぱり納得できない。

 挙げ句の果てにうちのケーブルテレビの事務所は明日まで休みだというのだ。なんで今日までじゃないんだ・・・・?(あ、私はいつでも良いんだ・・うんうん・・・」

日本のキリスト教関連行事

 私が暮らしているこの国のキリスト教徒は全人口の僅か1%だといわれている。わずか百万人だというのだ。それなのにクリスマスにしても近頃盛り場がそうなるハロウィーンにしても、とても盛んだし、気をつけてみていると「ゴスペル」を音楽形態のひとつの分野だと思っているらしい様子も窺える。
 クリスマスを始めて日本で祝ったのはいつで、誰なんだ、という疑問は、このネット社会では直ちに解決がついてしまう。こちらの「日本クリスマス博物館」なるサイトによれば、多分1549年に例のフランシスコ・ザビエルが祝ったに違いないからこれが起源だろうという説だ。ま、これは妥当な考えではないかと思う。だとすると当然イースターも祝われたことだろう。*1
 今の日本でのクリスマスの馬鹿騒ぎに繋がるであろうと思われるのは、1900年前後に、横浜で創業された明治屋が銀座に進出してから店をクリスマス飾りにした、と伝えられているところにあるんじゃないだろうか。こちらのサイトによれば、1931年には三越がクリスマス飾りをしたというし、このあたりと前後して日本から欧米のキリスト教市場に飾り付けのオーナメントの輸出が始まっていたようである。
 「日本クリスマス博物館」なるサイトによると不二家がクリスマス・ケーキの原型を売り出したのは1910年だというし、帝国ホテルが一般の日本人むけのクリスマス・パーティーを開いたのは1919年なんだというのだから、クリスマス商戦の開始はかなり早いことがわかる。1932年12月16日の白木屋の火事は飾り付けてあったおもちゃ売り場のクリスマス・ツリーが原因だとは思いもよらなかった。
 しかし、何が何でもやっぱりこれほどの日本全土をあげてのクリスマス大騒ぎになったのは戦後のことに違いない。
 戦後生まれの私が気がついたのは占領が終わってからのことだろうと思うけれど、クリスマスというのはバターケーキで、まるで仁丹のような銀色のつぶつぶがのっかっていたケーキとキラキラした紙でできている三角帽、そしてクラッカーだろう。明らかに親父が酔っぱらって持って帰ってきたものだったはずだ。その頃から、理由が全くわからないのだけれど、私たち姉弟三人は毎週近くの教会の「日曜学校」に通い出していた。毎回5円の献金をビロードの黒い袋に入れ、綺麗な絵が描かれたカードをもらって帰った。小学校にはいるくらいだったのか、その年のクリスマスには三人の博士が星を目指していく寸劇の役をもらいながら練習をさぼってみんなに迷惑をかけた。あれから今でも子ども達がそうしたセリフをみんなの前でいうときに胸が痛い。だからうちでは毎年、ツリーを飾った。そのためのモミの木は庭に植えたらとても大きくなった。
 ハロウィーンなんてものはついこの前までは日本では誰ひとりそんなものを振り向きもしていない。ホンのこの数年のことではないだろうか。私たちが知っていたのはその頃になるとなぜかアメリカからのニュースとしてお化けのように大きく育ったカボチャの映像が、古くは映画館の映画ニュースで知らされ、近くはテレビでちょっとした小ネタとして伝えられる、という程度のものだった。
 イースターこそキリスト教徒にとっては最大の行事だと思うけれど、日本では殆どの人が興味を持っていない。だからたまたまキリスト教国に旅行にいってイースターに出会ってしまって、店が一斉に閉まってしまって大いに慌てるという状況に遭遇する。しかも多くの人がこの休みの期間に動くものだから混雑に巻き込まれたりする。
 「ゴスペル」という言葉がこの国でここまで一般化してきたのは一体なんでだろうか。ウーピィー・ゴールドバーグ主演のあの一連の映画が大きな影響をもたらしたのだろうか。それともあの亀淵由香がうまいこと仕掛けたのだろうか。日本では「ゴスペル」というといわゆるブラック・ゴスペルを意味しているように今や捉えられているような気がする。iTunesのラジオで「Religious」を開けてみると良くわかる。中にはBlue Glassスタイルだったり、ロックになっていたり、典型的なカントリースタイルだったりしているけれど、中身はプロテスタントが主を讃える唄であればなんでもゴスペルといっている様な気がする。プロテスタントの従来の賛美歌も無理矢理いってしまえばゴスペルの伝統的スタイルということになるのだろうか。
 八百万の神を讃えるアミニズムの文化をその始まりとするこの国の文化であれば一神教だろうと八百万の神のうちのひとつとして認識してしまうという「心の広さ」を表しているんだ、といういい方もあるけれど(私のすぐ傍にもいる)、それは一神教徒から見たらとんでもない話だということになるわけだ。そりゃ信じてもいない人たちから「貴方は私の光!指し示してくださった光!」なんて唄われても困るんだろうなぁ。私は失礼だから、神社仏閣で手を合わせることはしないけれど、脱帽はする。

*1:日本ではなぜか、このイースターだけは注目を浴びない。商戦に関連する習慣が見いだせないからだろうか。卵やさんが儲かるだけ?あるいはパン屋だけ?

研修・実習ビザ

 昨日の朝日新聞にシリーズ「在日華人」第4部列島街村という記事が載っていた(こちら)。そもそもこういうシリーズを朝日新聞が連載していたことに気づいていない。どうやら今年の2月から始まっているようだ。多分、GWだからこその扱いの大きさで、一面と三面に分割されて掲載されていた。なんだか外国の新聞の記事の掲載の仕方のようだ。それにしても昨日の新聞はめったやたらと一面広告の連発で、如何にも広告主が減ったものだから数で稼ごうと広告掲載料を下げたんだろうなぁと予想させる。テレビだって、なんだか見慣れないコマーシャルだなぁと思ったら形成美容外科の広告だったりする。かつてだったら夜中じゃないと流れなかったような広告だ。なんだかマスコミが捨て鉢になっているような気がする。
 そんな話ではなくて、その記事が「攻めの農業 実習生に依存」というもので、いわゆる研修生ビザ、実習生ビザの問題である。ここの所派遣を含む非正規労働者の理不尽な扱いの不当性を告発する方向にマスコミが動き出していて、焦点が当たっている。
 しかし、その反面で、研修生・実習生の問題についてはひと頃ほどは取り上げられていない。
 この研修生・実習生の存在なくしては各地の労働集約産業はもう成り立たなくなってきている。しかし、これは体の良い搾取労働以外の何ものでもない。私たちがより安いものを求め続ける限り、製造現場はどこかで安い賃金で働かすことのできる労働力を求め続ける。
 このシステムもまた「派遣」や「請負」という企業からの要望で永田町と霞ヶ関が国民の目をだまくらかして正当化してつくった労働者を叩いて運営していくためのやり方のひとつ。ここでも取り上げられているけれど「もう日本人はこの仕事をやりたがらないし、パートのおばさん達は労働時間が安定しないからやりにくい。それでも安く働いてもらわなければ売れる値段にならない、消費者は買ってくれない。」というわけでこうしたシステムを取り入れざるを得ないのは消費者のせいだといわんばかりに、「風が吹いたら桶屋が儲かる」論法で、このシステムが必要だという説明にいたる。
 このシステムでトラブルとなった時、いや、トラブルとならなかったとしても、この制度は外国人労働者を対象としている。だから大きな声に高まることが少ない。GWのさなかだからこれだけの扱いになるのだろうけれど、そうでない状況下でも、この問題はしつこく取り上げて行かなくてはならないはずだ。あ、これも厚生労働省マターである。あの役所を統合したことに本当にメリットが出ているのだろうか。無理なんじゃないだろうか。それともただ名前が一緒になって大臣がひとりになっただけで、中身は統合前と何ら変わっていないんだろうなぁ。あれをやったのは誰だっけ?