ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

時代の進捗

 今やあっという間に技術が進歩して、私のような古い人間は目の前をさっと通り過ぎるデヴァイスに振り回されているうちにもう次のデヴァイスがやってきて、あれあれといっているうちにそれすら通り過ぎていく。今から考えてみたらパームトップといわれるデヴァイスもあったけれど、一度も実物を自分の手にしないうちになくなった。
 未だにiPadiPhoneも手にしたことがないのだけれど、これだってそのうちに次のデヴァイスに取って代わることになるんじゃないだろうかと思ってしまう。
 それでも今や企業でiPadiPhoneを社員に活用させているというか、これがないと仕事にならないところだってあるんだそうで、あれよあれよと、現場は変わっていく。
 そういえば15-6年前に赴任した職場にはまだネットも配備されていないどころか、パソコンすら使っていなかった。僅かにワープロ専用機がまだ幅をきかせていた。そこに2台のアップルを持ちこんだら余計なことをしている奴という見られ方をしていた。自費でネットに繋げたら、眼の敵にされた。不思議な話だけれど、そういう上司だったのだ。自分が理解できないデヴァイスを認めることができなかったというわけだ。
 当時はそんな価値観との戦いがあちこちで繰り広げられていた。その直前にいた職場ではグラフィック・デザイナー達のためにアップルを導入することを認めさせるために、まるで戦いだった。強引に持ちこんだといっても良いだろう。上司には恨まれた。生意気な奴だという評価だったんだろうな。
 それがたった15-6年前の出来事だと思うと、不思議な気がする。まるでもう何十年も経っているかの如く感じる。世の中は大きく変わったものだ。あの頃大反対をしていた人たちのどれほどが今ネットに繋げているんだろうか。それを調べてみたい気持ちになるなぁ。

モルモン教


 もちろんウィッキペディアなんかで検索すれば直ぐさまモルモン教自体がキリスト教の姿をとっているように見えるけれどキリスト教とは殆ど相容れない白人至上主義的人種差別新興宗教であることがよくわかる。しかし、そこまで調べる気もないし、調べる環境にない人が大半だから、殆どの日本に暮らす人たちはモルモン教徒であるということがロムニーにとって、そして共和党員にとって何を意味しているのか、という点については多くは語られない。
 ウッディ・アレンが作った「人間万歳(原題 Whatever Works)」という映画を偶々WOWOWでやっていたので見ていたら(映画館でも見たはずなんだけれど)その中で「Mormon」に言及する場面が出てきた。日本語のスーパーではそこが「一夫多妻主義者」とされていた。字幕担当者は相当迷うんだろうか。それとも彼らの間ではもうしょうがないからこれで行くとでもいうことになっているのだろうか。とても限定的な表し方である。
 彼らの本拠地、まぁ彼らがテンプルと呼んでいるんだから大本山といっても良いのかも知れないけれど、それはユタ州Salt Lake Cityにある。あのオリンピックが開かれた街でユタ州の州都である。オリンピックのおかげなのか、今のモルモンの集会堂はとんでもなく大きなものとなっていて、有名なモルモン・タバナクルという100名以上いるかも知れないクワイアが大きなパイプオルガンの前に勢揃いしていてもそれがごま粒くらいにしか思えない程度に見えるだけの、驚くほど広い建物ができている。
 彼らの教組はある日裏庭で天からの啓示を受けたのだそうで、そこから始まっている。まぁ、詳しくはウィッキペディアを見て戴ければいいわけで解説はしないけれど、宗教としては人種差別主義として相当に異端である。アメリカの先住民も、アフリカから売られてきた人たちも彼らにとっては宗教的仲間ではなかった。それでもそれにこだわっていたらどんどん世の中に置いて行かれてしまうから、その度ごとにその時のpresidentが「天からの啓示を受けたので、明日から私達は彼らも仲間にする」と変更してきた。まぁ、フレキシブルだといえばいえないこともない。
 彼らは結婚する時に自分達は子どもを何人もうけると宣言する。それが実現できないと養子縁組をする。それは自分達のコミュニティを保全するためであって、そのためであれば、何人もの妻とそれぞれの間にできた子どもとも大人数で同居する。それもこれもつまりはコミュニティーを途絶えさせないためであるし、それをしないで、男女の契りを結ぶことをきつく戒めて、新天地を求めて欧州から新大陸へ移ってきた宗派の中には、そのまま廃れてしまったものもある。
 しかし、米国の一州として加わる時点で、ユタ州は今後一夫多妻家庭の構築はこれをやめるんだと宣言して正式な州となった。しかし、それは表面的な話であって、私が初めて訪ねた1979年時点でもやっぱり目立たないところに大きな、まるで城のような家を散見することがあったけれど、それはすべてそうした大家族の家だった。
 だから、ある意味養子縁組についての抵抗は非常に少ない。ある家に行ってそこの小学生の子どもと話してきたら、その子がごく自然に自分は養子なんだよといったのを思い出す。
 私はSalt Lake Cityだけがモルモンの街なのかと思っていたけれど、実はユタ全域にわたってモルモンがいて、周辺の各州にも拡がっているのだそうだ。広尾にだってテンプルがあるくらいだから、その布教活動は年季が入っている。ひと頃東京では二人連れだって「英語の勉強に来ませんか?」といって声を掛ける青年達を見かけたものだ。それをきっかけに勧誘をしていた。彼らは必ず布教に出なくてはならないことになっている。
 このモルモンの活動を勉強して日本でも大きな宗教団体を発展させた人というのがいるのだという話はSalt Lake Cityでも聞いたし、日本に帰って来てからでも知ることとなった。なるほど、こういう具合にすれば概ね人は祈伏されてしまうんだなと勉強になった。
 カソリックから迫害されて新大陸にやってきたのはいわゆるプロテスタントの人たちだけではないのだけれど、新大陸でこれほどの偏見を抱えた、これほど大きな宗教団体が構築されていることは一度じっくり考えて見る必要がある。しかし、アメリカ国民が果たして「モルモン教徒の金持ち候補」を大統領として選び出すのだろうかと未だに信じられない気持ちだ。今年はこの観点で共和党の大統領候補の戦いを見ている。

野菜あんかけ

 昨日の夜中にテレビをつけたら夜中の定番番組(といってもいいかな)「ラーメン」番組をやっていた。どうしてあんな時間帯にやるんだろうかといえば、小腹がすいてきている時で、とても強く印象に残るからなんだろうけれど、なんでこんなに次々にラーメン店ができるんだろうかと驚く。しかも、やれ出汁がどうだ、つゆがどうだ、上にのっているものがどうだ、麺がどうだと次から次に、良くもまぁ、これだけのことを考え続けることができるものだと舌を巻く。多くが700円から1000円くらいの値段がするんだから凄い。
 この話題だとみんな驚くほど元気だ。なにしろ私の行動半径の中には若い人たちが殆どいないから(だから落ち着くんだろうけれど)今の若者達はみんな元気じゃないか!と驚くんだなぁ。
 今日のランチは野菜あんかけの載った湯麺を(麺とスープは出来合い)食べようと、あの深夜のテレビ以来決めている。

応援

 東電の電気料金値上げに対して、東京都の副知事(別に選挙で選ばれたわけではなくて、不良小説家知事が勝手に連れてきたこれも作家である)、猪瀬直樹が猛烈に反発!とテレビのワイドショーでやっている。こんなにたくさんの資産を持っているってのに、それに手をつけず、しかも赤字を招くという680億円分の中身も説明していないのはどういう訳か、これでは中小企業に対するダメージは大きいじゃないか、という。たくさんある子会社の施設は都内の一等地にゴロゴロとあるじゃないかというけれど、それは子会社の資産であって東電そのものの資産じゃない。別に私は東京電力を支援するわけではないが、彼がしていることは東京電力に苦言を呈しているように見えるけれど、その実はそうじゃない。正反対のことをしている。そんな資産は売り払ったところで、その期に赤字が少なくなるのに過ぎない。じゃ、次の期はどうするのか。その時は彼はいうべき文句はなくなって、唯々諾々と東京電力の主張を受け入れる、ということになる。彼が言いたいことの真意は「だから原子力発電施設を動かさなくてはならないんだ」ということへの応援歌に過ぎない。
 これははっきりいってエネルギー政策の大きな過ちだったのだということであって、そこを追求する必要がある。根本的に問題なのは、戦後直ぐのエネルギー政策をそのまま半世紀以上続けてきたということにある。電力料金の設定方法を、美味しいままに電力産業及びその周辺に許してきたところにある。それが明らかになったのだから直ちにその仕組みを変更していくのが学習ではないのか。さんざん美味しい眼を見続けてきたもの(この場合は電力産業であり、東京電力はまさにその象徴だ)がこれ以上に美味しい眼を見続ける体制を続けていけるシステムのままにこれを守ろうとするのは人類に対する冒涜としかいいようがない。