ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

これって何?

 突然、民間事故調査ということをやっている福島原発事故独立検証委員会というところの調査報告書というものが発表されたそうで、各紙、各放送局ではこの内容をかいつまんでいるんだけれど、肝心なその報告書は一体どこにいったら読めるのだろうか。
 それにしてもあっという間に各紙の記事を元に詳しく分析している人がもういることに驚くとともに感謝したい。
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ひょっとすると

 今までに何回かひょっとしたらそうじゃないだろうかと思わなかったわけではないけれど、ひょっとすると、私達の文化には「憂える」という言葉は定着しないでいるのではないだろうかという気がして来た。それは地勢学的な影響がとても大きいのかも知れない。環太平洋地震帯の地図を見て、地震の発生頻度を表したものなんかだと、日本列島の上はもうその頻度を表すマークで塗りつぶされてしまうほどの地震が発生している。それが例えばあの3.11前後から始まっているという話ではなくて、ず〜っと以前、それこそ有史以前からそれは続いている(ものを知らないものだから本当かどうかは保証の限りではないのだけれど)のだ。そんなところに暮らしている民族が、あっちこっちから寄り集まってきた連中がいるらしいけれど、いちいち物事を「憂えて」いたんではそれこそ暮らしが成り立たなかったということではないだろうか。
 火山は爆発して流れ出てくるもので地形は変わり、それから先は何年かは不毛の地となりはて、地震が起きては崩れてしまうんだから大したものを建てるつもりにもならず、挙げ句に台風は来るは、大雨はあるは地滑りも起きるは、雪が降ればどっさり積もり上がって向こうに行くにも容易じゃない。
 そんなところに暮らしていて、いちいち壊れたものをどうしようと憂えていたらそれでなくても短い人生があっという間に終わってしまう。尤も何度も生まれ変わって来るわけじゃないからどこかで天災に対する備えを手に入れているわけじゃない。対処のしようがないまま、不満足な状況で人生を終え続けてきたんだろう。
 この度の一生にはあれもあり、これもありの人生で全然落ち着かなかったから、次にいったらそんなことが一切起きない、静かな、蓮の花が咲き乱れている、落ち着いたところに暮らしたい、そのためには「あぁ、大丈夫、大丈夫、あぁ、大丈夫、大丈夫」と唱えて諸々のいやなこと、面倒なことを忘れちゃいましょう、というのが一番気が楽に違いない。
 だから、この大きな災難だってそれでやり過ごすしかないんだというのが哲学的な思い入れに豊かな現政権がまっしぐらに突き進んでいる路線なんだろう。
 どうして晩婚化が進むような政策をこの国の歴代の政権はとり続けてきたのか不思議でしょうがなかったのだけれど、自民党も、公明党も(ということは大元の創価学会もそうなのだろうけれど)民主党もこういう事件や災害が起きるのがわかっていたから、若者達が結婚して子供を産んでくれると人口が現状を維持することになってしまって、災害の被害が大きくなってしまう、だから、少子化の流れを生むように、若者達が子どもを欲しいと思わないようにしてきた成果だったのだろう。
 経団連がいうことを、米国が主張することをそのまま受け入れていけば、国民が嫌気をさしてどこかに分散するとか、やる気を失って文句を言わなくなる、それがこの国を災害や事件から守る究極の方法なんだろう。
 素晴らしい政策だったということに今ようやく気がついたな。

愕然

 本当に柏市というのは線量の高いホットスポットだったのだ、と朝のテレビ朝日を見ていて、愕然とした。それは線量の高さに愕然としたのではなくて、まるで儀式のような除染の後にそのままなんの変化もなく暮らしているというありように愕然としたのだった。小学校の校庭の表土をスクレーパーで削り取っている学校もあれば、あれはもう少し前のことのようだけれど、PTAのお父さんお母さんがマスクをした程度、あるいは全くマスクなんぞしていないで手作業で削り取っているだけでなくて、それを校庭の隅に穴を掘ってそこに埋めて保管しているという現実なんである。そのまま子どもたちは無邪気にも体育の授業のようで、縄跳びをしているのが映っていた。
 放射能で汚染された状態のママで暮らしていても「除染」さえされていればなんの問題もなく暮らしていくことができるんだと「洗脳」されたままで、住民も学校も自治体も、「パニックを起こすといけないから」住民を見殺しにしている政府の悪だくみの犠牲になっていく。朝から眠気が頭から抜けきらないまま、脱力したまま出掛け、肝心なものを持っていくのを忘れて今日の午後を棒に振る。

名古屋市長発言

名古屋弁でいえばなんでも受け入れられる、というわけではないことを彼は認識しなくてはならない。
「一人も悲しいことがなかったと言ったわけではない」という発言が付け加えられたと報じられているけれど、それが本当に中国からの親善訪問団に対して発言した中身に含まれていたのかどうか、という点は非常に重要だ。
 南京虐殺事件は人数の認識については大きなズレが日本と中国の間に存在しているけれど、その事件そのものがあったことについては概ね認識されている。それを姉妹都市の繋がりがある相手の表敬訪問で持論をぶつけるという点では全く礼を逸している。彼がその持論を表明するのはその場ではないはずで、表敬訪問の場であるという意味を認識できない首長ではまったく低レベルであることは疑問の余地がない。

失業者

ラジオ深夜便雨宮処凛

 専業主婦、ひきこもり、家事手伝いといった状態にある人たちは失業者として顕在化してこない。だから女性の中での仕事を持っていない、しいては貧困要素を抱えている人の割合は男性に較べたら大きいけれど、見えてこない。
 単身でもどうやって暮らしていくのか、というテーマを重要視しなくてはならない。
 多様化に対応した行き方のできる社会とはほど遠いこの現状。
 家族とは異なる生活の仕方ができる暮らし方を現実的に考えていく。
 働く女性の半分以上が非正規雇用のままで放置してる、逆に若者とともに狙い撃ちしてきた国家・企業の問題に気づくことが必要。ある意味貧困状況でも生きていける状況ができつつあるのが社会の正常化を妨げているかも知れないし、それが政治的に利用されてしまう危険性も存在する。

2012年02月27日のツイート