ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

上告棄却

 1972年の沖縄返還に伴う日本の財政負担をめぐり、元毎日新聞記者の西山太吉氏(82)らが、日米両政府間で交わされた密約文書の開示などを国に求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(千葉勝美裁判長)は14日、西山氏らの上告を棄却した。
 密約文書の存在を認めた上で、国が秘密裏に廃棄した可能性を指摘し、開示請求を退けた二審東京高裁判決が確定した。ただ、文書が存在したかについて、最高裁としては言及しなかった。 (時事通信 7月14日(月)15時36分配信)

 最高裁は国民をないがしろにするためにある。これではまるで裁判所が国家権力の用心棒である。密約があったことはすでに公になっていて、西山太吉氏はその密約を当時スクープしたことによって時の官憲の手によって社会から抹殺されてしまった。つまり、彼はえん罪の被害者そのものなのである。にもかかわらず、その証拠となる文書の開示請求を退けた。なぜ、マスコミはこの事件についてしつこく追求をしないのだろうか。
 千葉勝美は1946年生まれ。東大法卒。東京地裁判事補-最高裁参事官-東京地裁判事-最高裁行政局長-甲府地裁所長-東京高裁判事-仙台高裁長官-最高裁判事(2009年12月)

一審東京地裁は、文書について「密約を示すもので、政府としてはその存在を隠す必要があった」と認定。存在を否定した国の主張を「十分に捜したとは言えない」と退け、全文書の開示と請求通りの慰謝料の支払いを命じた。
 これに対し二審は、密約問題に関する両省の調査は網羅的で徹底していたと認める一方で、文書が見つからなかったことから「通常とは異なる場所に、限られた職員しか知らない方法で保管された可能性が高い」と指摘した。
 さらに「(2001年の)情報公開法施行により密約が明るみに出ることを防ぐため、両省が秘密裏に文書を廃棄したか、保管外に置いた可能性もある」との見方を示した。その上で、不開示決定時に国が文書を保有していたとは認められないと判断した。(時事通信2014/07/07-18:45)

だったら正社員に

 NHKがベネッセの顧客情報流出について「顧客のデータベースの保守管理に当たっていた外部業者の派遣社員が、警視庁の任意での聴取に対し関与を認めた」と報じている。
 確かにその派遣社員は逮捕されるべきであるけれど、こんな重要な業務を一派遣社員にやらせていたのかと唖然とする・・と書いている人はきっとたくさんいることだろう。危機管理意識が徹底的に欠如している。会社は家族だといってはばからなかった某石油会社だったらそんなことはないのだろうか。
 個人情報に対するその重要性というのは昨日今日語られ出したものだからまだピンときていない連中がいてもおかしくはないけれど、通信販売といっても良い業界で宝の中の宝といっても良いデーターですら、派遣社員に任せることが違和感を生まないというのが現在の企業風土だということだろうか。
 大きなしっぺ返しを食らったということではないのか。顧客はいい面の皮だ。

ネオデジ

 さすがにここのところに来てネオデジといわれるカメラの機種開発競争に陰りが見えてきて、新機種開発の勢いがどうやら踊り場にさしかかっているようだ。
 私は今使っているネオデジ、PanasonicLumix FZ70が3台目で今はもうほとんどこれしか使っていない。長い旅行に出るときはこれに予備として同じLumixのTZ10というカメラを持って行く。TZ10は私が初めて手にしたネオデジ、OlympusのSPシリーズの初期モデルをオスロの町中で階段から転がし、動かなくなったときに急遽現地調達したというつらい思い出のあるカメラで、当時こんなコンパクトデジカメで16倍ズームは珍しかった。その壊れたOlympusのカメラは神田のメーカーのサポート店に持って行ったらろくに見もしないで「修理は1.4万円かかります」と機械的にいいながら「これだったらそれより安い値段で買えます」とかねて用意のパンフを見せられたから、あまりの誠意のなさにだったらもういいと撤収したという曰く付きだ。
 二代目は起死回生のつもりでFUJIFILMFinePix HS10という光学ズーム30倍という奴を手に入れていた。ところがその後ズーム競争が激化。40倍、50倍という機種が出て、昨年とうとうLUMIXNIKONが60倍ズーム付きを出した。我慢できずにLUMIX FZ70という機種を手にして今に至る。どうも長いものだからつい寄って撮り、ぶれて後悔するということが増えてはいるけれど、思いも寄らぬところを絵にすることができて驚いたりする。
 しかし、この先いったいどうなるんだろうか、これだけ寄れていればあとはレンズが明るくなってくれるといいなぁと思っていたけれど、多分技術的にはそれは無理なのかもしれない。これから先をやるならカメラの仕組みをもっとちゃんと覚えて一眼レフとかミラーレスに行くしかないが、そんな勉強をするつもりもない。ネオデジの時代がもしこれで終わるのだとしたらその次はいったい何が出てくるのだろうか。もっと小さくて光学ズームが大きいものが出たら、爺婆は即そっちに走るだろうか。重いのはいやだといって。
 エッフェル塔のてっぺんがちゃんとアンテナになっているのには驚いた。このサイトだとなんだかピンが大甘に見えるけれど、原画はきちんとピンが効いている。こんなカットが撮れるのもこの60倍ズームのたまものである。

 思想の科学編集の「共同研究 転向」が東洋文庫から5分冊になって出ているのだそうだ。実はこの本は昔、学校の図書館から借りだして写しを取った記憶があるのに、どうしても見つからない。手間暇かけたのに悔しくてしょうがない。そうか、そんなものがあるのなら、と思ったら一冊3千数百円もする。それでは全部で15,000円以上する。え・・・。というので、「日本の古本屋」サイトで探したらかつての平凡社刊三分冊のそろいが結構上がっていた。それでもいい値段がするので、文字さえ読めれば良いやと、少々ヤケありとされている2,800円のセットを発注。果たしてどんなものがやってくるのか、楽しみのような不安なような。

転向〈上巻〉―共同研究 (1959年)

転向〈上巻〉―共同研究 (1959年)

見る、見ない

 世の中には何の苦労もなく実に余裕たっぷりに生きてきた人もいれば、表側に出ることもほとんどなく、いったい何でこんなに人によって世界が変わってしまうのかと思うような毎日を送っている人もいるわけで、その一人一人の価値観も、危機感も全く共通のものなんてない。だから、「幸せ」っていう状況だって、一人一人で中身が全然違う。あぁ、あの車を買うことができないなんて、俺はなんて不幸なんだと思っている人もいれば、お、夕方の食い物を確保できたぞ、今日はなんてラッキーなんだ、と思っている人もいる。
 ほぼ共通な金銭感覚、共通な幸せ感覚を持っている人たちの中に一人でも全くそのスケール感が違っている人が入ると、そこで何が起きるか。
 見ていても見ていないふりをする、あるいは見えないことにする、ということが頻繁に起きる。人間というのは不思議なもので、見ていることが相手にわかってしまうと何か責められているような思いに駆られてしまうからだろう。だから、道路っぱたにホームレスじゃないかと思われる人がたたずんでいると、見ていないふりをする。なんだよ、自分が悪いんじゃないのか、と思いながら。
 今やもう日本ではホームレスの人だって勤勉で、昔のように「右やぁ、左のぉ〜旦那さまぁ〜」なんてことをやる人はほとんど見たことがない。外国のように紙コップを片手に持って中に入っているコインを「チャラ、チャラ」鳴らしてはいない。朝早くから自転車で街を流してアルミ缶をどっさり集めていたりしている。
 しかし、そんなに動ける人ばかりじゃないだろう。そういう人たちはいったいどこでどうしているんだろうか。
 ニューヨークにはホームレスらしき人がたくさんいる。年齢も様々だ。理由を書いたボードを胸に抱えてたたずんでいる人もいる。すると、本当に何ともない普通の人が通りすがりにコインを入れたり、サンドイッチを渡したりしている。
 欧州に行くと大きな教会の前や駅の周辺には移民とおぼしき人が紙コップを抱えて、つらそうな顔を見せるというシーンがあちこちに見られるけれど、あれの場合はどうも組織がらみな気がしないでもない。
 今やかなりの割合で若者たちは派遣やアルバイトという形で仕事をしている。今年になって「景気は回復基調」なんだという刷り込みのおかげで、大卒の就職活動はかなり楽になっているらしい。問題はいつまでこの状態で世の中を騙していけるのかということだろう。しかし、正社員率は確実にどんどん下がってきている。
 これまでの人生の中で派遣であちこちの職場に行っていた人たちをやっぱり大人は警戒心を持ってみている様子が見える。そうした環境の変化を推進してきた人たちの多くはイニシアティブを取ってきた方たちで、自分の子どもたちも高等教育を受けて、世の中の表にいるものだから子どもたちと同年代の非正規労働に従事している彼らのことがわからないらしい。
 そんな中で、そんな立場にいないわが子の話をすると、ほとんどの人は凍り付いて、聞かなかったふりをしそうだ。

選挙

 なんだかぎりぎりな感じで、非自民候補が勝った滋賀県知事選(その差13,076票)だけれど、何せ投票率がたかだか50%をぎりぎりで超えたにすぎない。こんなのは間接民主主義としてはまったく意味をなさない。何しろ二人に一人しか政治に参加していないということになる。
 当選した三日月大造の得票は253,728票で全有権者の23.0%にすぎない。つまり全体数からいったら4人に一人にも満たないのである。
 どちらかの候補の圧倒的勝利、というか圧倒的な支持がえられることが明白だという選挙ならまだしも、この時点では与党である自民公明が支持している候補とそうでない候補の対決とくれば、これは世の中の流れをどっちに行くことを支持するのかという意味で非常に重要だ。
 それをどうでも良いという判断をした人間が半分いるだなんて、信じがたいではないか。
三日月大造滋賀県膳所高-一橋大経卒-JR西日本-労組-松下政経塾-民主衆議員-民主中央の慰留を振り切って離党、嘉田県政継承を旗印にして立候補。
 競馬産業研究会なんていう議員連盟があるとは知らなかったけれど、さすがに滋賀県を選挙区にしていた議員らしい。これであっち業界から流れてくるものがある、ということなんだろうか。つまりそんな色もついている。
 いずれしろ、私は投票強制論者。棄権する人間には罰金を払わせる。豪州ではずっとやっている。

2014年07月13日のツイート