ほぼ足りてまだ欲 その先

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小言幸兵衛 家庭のしつけができていないということ

 私たちのような団塊の世代は今の子どもはしつけが全然なされていないと良くいう。そのこどものしつけは直接的にはその親が担当する。もちろんその周りにいる人たちにもその役割はある。しかし、今の子どもの親たちというのが概ね40前後だとするとその親たちは65歳前後くらいになるのだろうか。戦後の教育を受けている世代の早い部類である。それに直ぐ続いているのが団塊の世代ということになり、その辺はもう一緒だ。
 飲食業を営む知人の話を聞いて驚いたのだが、今頃の女子社員はランチ時間一杯を昼飯を食っているところで、平気で過ごそうとするという。あとから来るお客さんのことや、お店の都合なんてことは一切お構いなしで、いつまでもでれでれ、ワァワァしているというのだ。そうした女性のグループが来ているところに遭遇したことがある。うるさいなぁとは私も思った。「みっともないなぁ」と思った。彼らはこの店がどんな雰囲気の店で、周りの人がどんな雰囲気で過ごしているのかを「心得る」ということができない。挙げ句の果てに彼女たちが帰ったあとを見て驚く。丼の中は食い散らかした状態。残すにしてもどこかに寄せておく、と言うことくらいは普通する。それだけじゃなくて、割り箸を丼に突っ込んだままである。自分の喰い方をよその誰が見るか分からないから、恥ずかしくないように、と言う気持ちなんて、もうこの世の中にはどこにも残っていないかの如くだ。
 別に私は自分が完璧だなんて思ってえらっそうにいっているわけではないのだけれど、今や「お里が知れ」たって良いのだし、「恥ずかしい」なんて感覚はもう全く存在していないかの如くであると言うことが寂しく、悲しいだけである。何故こうなったのか、昔の風習は一体どこで断絶されているのか、を解説している人はいないのだろうか。