ほぼ足りてまだ欲 その先

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Memorial Day(私の誕生日)

 なんで人間の時はこういわないで、Birthdayなんていい方をするのか知らないけれど、今日は私のそんな日。記念に散歩+ランチに出かける。
 浅草に出ると、台東区が運営している「めぐりん」というほんの小さなバスが裏町を選ぶようにして走っていて、今では「北めぐりん」「南めぐりん」と「東西めぐりん」という3路線が走っている。この東西めぐりんが一番最後にできたもので路線の一回りも一番長い。台東区役所から上野駅の公園口を通り、寛永寺から谷中に出て、不忍通りに達するとすぐに折れて、吉田酒店のところから動物園の脇を通って西郷さんの下に出てくる。また上野駅の公園口に戻り、今度は合羽橋商店街を東にまっすぐ。六区の横、国際通りを通って雷門通りに入り、雷門前から松屋の周りをぐるっと回ったかと思うとまた雷門。江戸通りに向かい、今度は浅草通りに入って八百屋の角を裏に。春日通りまで行ったと思うとまた裏に入り、永寿病院のあたりから台東区役所に向かって一回り。「しゃべってぇる私もだいぶくたぶれた」とくれば志ん生である。これで一周多分1時間強ではあるまいか。それでも一度も降りなきゃ百円である。
 谷中5丁目と4丁目の間の三崎坂をちょっと登ると左手に全生庵がある。圓朝の墓、山岡鉄州の墓などで知られている臨済宗のお寺さんである。毎年夏、8月に圓朝まつりが開かれ、日曜日に噺家が集まってバザーのようなことをやる。この模様は必ず地元の有線テレビで放送されるのだけれども、あまりの暑さに、出かける気にもならずにいつも「あぁ、もう終わったのか」と思う。志ん朝師が亡くなった翌年には彼の扇子やら着物やらが売りに出たような記憶がある。このお寺の本堂の脇を入ると裏にはお墓が拡がっているのだけれども、何たってびっくりしてしまうのが金色に輝く大きな菩薩像である。
 この界隈は本当にお寺ばかりだけれども、路地もなかなか油断がならない。昔から、多分横丁に入ってもきっとどこかに出られる、という気楽な思いがあって、どんどん入っていってしまって、自分が今どこにいるのか分かるところまで出たら、そこから家に帰ろうなんていうかんがえだから、今日もまたあるお寺の横をどんどん入っていくと、なんと行き止まりだった。よそ者をびっくりさせてくれる路地であった。それにしてもひっそりは暮らせるが、もしもの時はどうするんだろうと心配になる。
 この界隈は平日にこうして歩いていても、結構おばさんの二人連れ、三人連れがやってくる。「おばさんってぇのはみんな暇なんだなぁ」というと「そういうご自分はなんなんだろうか」と鋭い追求にあう。「♪すみませんねぇ〜ぇ、ひまなんですぅ〜」と唄いながら歩く。