ほぼ足りてまだ欲 その先

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南極観測船

 毎年11月中旬に東京晴海埠頭を出港して翌年3月末頃に戻ってくる南極観測船といえば「しらせ」である。この船は最大級の自衛艦といわれていた。最初に南極に出かけた船は「宗谷」だけれどもあれは海上保安庁の船。今は名古屋港に係留されている(今でもそうだと思う)「ふじ」と「しらせ」は海上自衛隊の船である。「しらせ」ができたのが1982年のことである。一年間の慣熟訓練で日本の各地を訪れ、1984年から南極観測支援に就いた。従って現在の航海が23回目の支援任務だということになる(私の指計算なんで間違っているかも知れない)。通常の民間貨物船の寿命から考えても、そして南極への過酷な任務を考えても良くこれだけ任務を全うできたことだと感心する。毎航南極圏を脱してシドニーに入港すると観測隊は下船して空路帰国する。シドニーではすでに日本から技術者がやってきていて帰国後の修理についての打ち合わせをする。帰国後は直ちに整備のために入渠する。
 その「しらせ」の代船(次の船)が現在建造中だと新聞に掲載されていた。リンクするだけだとまた消えてしまうので、長くなるが引用させて頂く。

 南極観測、「しらせ」が助けた船が代役に 朝日新聞2007年01月25日
 南極観測で、文部科学省などの関係省庁が、来年秋出発の50次観測隊の輸送に、オーストラリアの民間砕氷船を使う方針を固めた。現在の観測船「しらせ」が来年春に引退したあと、後継船就航まで1年空くための臨時措置。チャーター船の使用は観測史上初めて。予定している砕氷船は8年前、南極海でしらせに救出された船で、こんどは逆に日本の南極観測を助けることになる。
 「オーロラ・オーストラリス」(排水量7880トン)で、しらせよりひと回り小さい。豪州の観測隊と物資を乗せて毎年11〜3月ごろに4、5回、南極を往復している。船室は定員116人。50次隊は、ふだんよりも隊員数を少なくし、約40人分を借りる予定だ。
 同船は1998年11月30日、南緯69度でスクリューが故障。豪州に入港中、救助を求められたしらせが現地に向かい、12月13日に到着。すでに2メートルの厚さの氷に閉じこめられていた。しらせは周りを走って氷を割り、ロープをつなぎ、約53時間、315キロを引っ張って氷海から救出した。
 厚い氷の海に囲まれる昭和基地の岸から数百メートルまで近づけるしらせと比べると、オーロラ号は砕氷能力が劣り、その場所に近づけない。70キロ遠方で停船することになる。
 物資輸送には、雪上車は使えず、ヘリコプターだけが頼りだ。前もって運べない食料などの輸送に10日ほどかかる。試乗した国立極地研究所の石沢賢二・極地設営室長は「部屋は狭いが、シャワー完備で快適。食事もおいしい」という。オーロラ号を救助したとき、観測隊長としてしらせに乗っていた極地研の白石和行教授は「助けた者に助けられる。これが国境のない南極だね」と思い出す。
 しらせの後継船は現在約380億円をかけて建造中。1航海にかかる費用よりチャーター代は安くすむが、物資輸送ではしらせ級の砕氷能力が必要と、観測隊は新船の完成に期待する。

 実は私は代船の建造が行われているらしいとは思っていたけれど来年の竣工らしいことを聞いて「慣熟訓練」もしないでそのまま一気に南極まで航海するなんてことを(民間会社ではあるまいし)自衛隊がやるとは思えないが、どうなっているのかと思っていた。なんとその隙間の一年の観測隊支援をオーストラリアに発注するというのである。この記事を読むと能力としては「しらせ」に劣る様なので結構面倒なことが起きる様だ。それにしてもなんで一年前に代船建造を発注しなかったのだろうか。予算的な問題があったのだろうか。そうした疑問にはこの朝日新聞の記事はこたえていない。実態は緊縮財政下で予算が認められなかった様だ。
 「宗谷」は灯台補給船からの改造船である。これは今東京有明の「船の科学館」に保存されている。この船の改造から、「ふじ」の建造、「しらせ」の建造まで横浜の日本鋼管の鶴見造船所が担当してきた。今回はユニバーサル造船舞鶴で建造されている。この造船会社はこの会社から手を引く、引かないで市場を騒がせている日立造船と、日本鋼管のそれぞれの造船部門が構築した会社だからこれまでとほとんど変わっていない。普通であったら同じ会社がずっと受注しているのはおかしいではないかということになるのだけれど、砕氷船についてのノウハウを保持していくことのむずかしさというものがある。なにしろ最後の建造が25年も前なのだからそうした技術を保持していくことはちょっと大変だ。実は自衛艦でいえば潜水艦の建造も三菱重工川崎重工の二社に限られている。これも技術の保持、情報管理の面から限定されている。