ほぼ足りてまだ欲 その先

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魚の卵

 いつも痛く感銘を受ける電脳六義園さんのエッセーにかつてお母様が魚の卵を甘辛に煮付けて下さったいうお話を書いておられる。私の母は岡山の出身だが、彼女も良くそうした煮付けを作った。弁当に入っていた時には時として煮汁が包んである布に染みた。温かい御飯にそれを載せて混ぜて食べるのは子どもの頃から好きだった。今では家人のコレステロール値が多少高いので、こうしたものをうちではやらない。しかし、とても懐かしい。あれはオヤジが好きだったのかも知れぬ。昨日の晩のテレビ「出張お宝鑑定団」は総社の市民会館での収録だった。出てきたおばさんの話っぷりで既に二人とも死んでしまったが母や、母の妹の話っぷりが俄(にわかに)に蘇った。ふとこみ上げそうになる。すると不思議なことに母方の祖父の顔も、その声も、そしてそのひび割れた手の感触も、あっという間に蘇る。まだ私が小学生だったことのことなのに。祖父の声はしゃがれていた。母の声も伯母の声もしゃがれてはいない。ところが神戸の震災の直前に死んだ従兄の声は若い頃からしゃがれていた。彼は祖父の血を明らかに引き継いでいた。私のすぐ上の姉の声が多少しゃがれている。あれも祖父の血だろうか。「鎌倉に行ってうちの先祖の、そのまた殿様の墓に詣でてこられい」と祖父がよく云っていたがそれはいったい誰のことだったのか。祖父、節三さんの頭は今の私の頭にそっくりだ。