ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

とけてバターになる?

 人には記憶に残る童話のようなものがきっとある。先日ラジオを聞いていたらどなたか忘れたけれど、シンデレラ姫のお話は夜中の零時を過ぎたら馬車は南瓜に、馬車の御者は鼠に戻ってしまったのに、なんであのガラスの靴だけは何か他のものに戻らなかったのだろうかと云っていた。なるほど仰る通りの話で、午前0時を過ぎてあの靴はなんだかわからないけれど、ボロボロの布靴かなんかに戻っていなければおかしいわけである。
 差別的であるといって大変話題になって絶版になった「ち○く○さ○ぼ」というお話があった。日本人はなんにも知らないけれどそもそもあの「さ○ぼ」という名前自体がアフリカの黒人の人を差別的に象徴する名前だったというのが根底にあるという節もある。だからここでは敢えてそれを書かなかった。しかし、再販されたものにもこの名前はそのまま使われていたのではなかったか。そういえば私たちが日常生活で使っていた名前にももとはといえば差別用語であったなんてものがいくらも存在する。差別と云うことそのものはその被害者が、あぁいやだ!と思った時に発生する。これはいじめと同じである。差別している方がいくら「私はそんな差別の気持ちなんて持って云ったんじゃないんだ」と強調しても、その言葉を使われた人が、そんな言葉を使うのはやめて欲しいと云ったらその言葉はそこで既に差別に用いた言葉になる。いじめた方が「あれはいじめなんじゃなくて、ただ遊んで頂けだし、ふざけていただけなんだ」と強調してもその対象とされた人がそれによって痛く傷ついたのだとしたらそれはもう明確な「いじめ」である。だから、「あんなのいじめじゃないだろ!」というのはやった方からいえる話ではないのだ。
 と、話はそっちに行っちゃったけれど、わたしが子どもの頃、不思議でしょうがなかったのはあの「ち○く○さ○ぼ」のお話の中で、虎に襲われて逃げる時に木の周りをぐるぐる回る。そしてあんまりぐるぐる回ったので、虎がバターになっちゃって、それをうちに持って帰ってお母さんにドーナツをあげて貰う(あれ?ホットケーキだっけ?少なくともパンケーキじゃないだろ。あの当時の日本ではパンケーキなんて言葉は存在しなかったから)というところなんである。いくらなんでもぐるぐる回っている間に虎だけが溶けてバターにはならんだろう!しかも、さ○ぼ!なんでお前はバターにならないんだよ!そのバターをどうやって家に持って帰るんだよ!とこれが不思議でしょうがなかったのだ。それでも、こうした話は「〜〜だとさ!じゃん、じゃん!」と終わらなくてはならないものであり、その後、ねぇねぇ、どうして・・と訊ねてはならないものだと賢くも装っていたのであるなぁ。