ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

「宝物」を開ける

先日ある図書館が廃棄本を出したので、漁りに行った。今回の収穫は「思想の科学」の合本である。そこにあったものは最も古いものでも1968年である。1946年には創刊され、1996年まで続いていた雑誌だから丁度真ん中ごろの話で、時あたかも佐藤訪米阻止、羽田闘争時代の話だ。1968年1月号は120頁で180円である。当時の私のアルバイト料金が一日働いて600円だった。学食のカツ丼が80円だった。今でいったら1500円ほどするという勘定にでもなろうか。私は当時この雑誌の存在は知っていたけれど、ほとんど興味がなくて、手にもしていない。多分「話の特集」を読んでいたんだろう。この号の巻頭は特集・反戦行動の焦点の一環として1975年08月14日に若干41歳で逝去した児童文学家で、部落・女性問題に尽力した柴田道子が「非暴力直接行動のかけ橋」として当時の抗議デモについて書いている。ベ平連がまだベ平連という前の頃の官邸前座り込みの時には官邸警護の警官との間にそれでもまだ言葉の投げつけ合いという一種の「コミュニケーション」が成立していたけれど、羽田闘争辺りからはそんなものはもう一切見いだせなくなったと書いてある。
じっくり掘り下げる楽しみがぼっこりとやってきたわけだ。確かどれかの号に太田典礼が書いているのを見た記憶があり、太田典礼と「思想の科学」の繋がりが今の私からはどうしてもつながらないのだけれど、どんなことが書かれているのか興味深く、それを掘り出すのを楽しみにしている。太田典礼についてはこちらに大変興味深い「太田典礼小論」がある。
 箱の中を捜したら、なんと1959年の「思想の科学」12冊を発見。この年の「思想の科学」は中央公論社から発行されたもので、1月号には創刊号と書かれている。その2月号から5月号に上坂冬子のデビュー作、第一回思想の科学賞受賞作、「職場の群像」が連載されている。彼女がトヨタの社員だった時の作品だと思うが、それにしてもあの上坂冬子のデビュー作が「思想の科学」だなんて、全くの正反対で、今はとても結びつけることが出来ない。上坂冬子にとっては忸怩たる思いがあるのではないだろうか。鶴見俊輔はどう思っているのだろうか。
 1月号に永井道雄が「石橋湛山会見記」というインタビュー記事が載っていてとても興味深い。