ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

「ネットカフェ難民」というのはやめて

 昨日ちょっとラジオのニュースで聞いたんだけれど、ネットカフェの経営者団体が「ネットカフェ難民」という表現はやめて欲しいといっているのだそうだ。イメージが悪い?一般的な利用者の人が来ない?そうか?私はそんなに何回も利用した訳ではないけれど、昼間には利用したことはある。ちょっと出先でチェックしたかった時なんかだと結構安く時間が潰せて便利だ。しかし、あれが外から中が丸見え状態だったらみんなどうしただろうか。昔はそんな感じだった。そうかといってあれを開放的にしちゃえばいいじゃないかといってしまったら、ようやくあそこで時間を過ごすことのできる人たちにとって問題が発生!となる。もちろん、その根底はそんなところで暮らさなくても良いだけの労働対価が支払われる、そんな普通の世の中にすることが必要なんだけれど、それを今の厚生労働省の官僚が経団連に媚びることなく制定できるのかというと、それはまず最初にそれこそ「戦後レジーム」から脱却して自民党政権を一度やめるしかないのだ。
 厚労省ネットカフェ難民なんて結局5400人しかいないんだという報告書を出した。霞ヶ関がだしてくる数字がどれほど権威を持つかという話には不登校の子どもの数についてもいえる訳で、そういう観点での受け止め方が必要だということか。
2007年1月の調査として発表されている数字でホームレスが全国で18,564人だといわれている。東京都だけでいうとこれは4,690人だとしている。ここから見て、こうした数字が少ないと見るのか、少なくないと見るのかという観点によって見方が変わるというのが普通の議論なんだろうか。あるいはそうした相対的な人数の多寡ゆえに対策が必要か必要でないのかという議論とは全く別に、そうした文句なしに不利な状況に立つ人を作り出している仕組みが許されるのか、許されないのかという議論になるべきだと思う。水俣病を例に取るまでもなく、一部の人が被害を被っているけれど、これが多い人数か、そうでないのかと議論しているのと大して変わりがない。当然の如く上の5400とか、18564という数字が正確な数字かどうか、という議論も必要だ。