ほぼ足りてまだ欲 その先

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引き際

 先日、浅草のある蕎麦屋で姉と蕎麦を食べているとそこへ雪駄をちゃらちゃらいわせながら高齢の方と壮年の方が入ってきた。着物姿の高齢の方がお店の方に「なんだい、もう二階は閉めちゃったのぉ?」といっている。昼下がりの時間だったから昼飯の客の足は既に途絶えていて、なんだか緊張の糸がとぎれたような雰囲気が店の中に流れているような塩梅だった。なんだか見たような方だなぁと思っているうちに私の横を通りすぎたからすぐにわかったけれど、圓菊師匠だった。随分お歳を召されたんだなぁと見やったが、一緒にいた姉が噺家を知るような人じゃないから話題にはしなかった。圓菊師は1928年のお生まれだから79歳と云うことになるが、5代目古今亭志ん生のお弟子さんで、志ん生の晩年には背中に師匠をおんぶしてお世話したという話をいつぞやのNHKで話しておられた。
 昨日のことだけれど、多分あれは埼玉テレビだと思うが寄席の番組が流れていて、そこに圓菊師が高座で一席伺っておられるところが映し出されていた。しぐさの所々に往年の圓菊を彷彿とさせるのだけれども、もうなんせ声が通らない。圓楽師が最後の一席といって銀座落語祭りに出ることになっていたけれど、遂にやめてこれにて「おつもり」ってことになったのは今年の夏だ。そんなことをいっては申し訳がないけれど、圓楽師はもうそのずっと前から無理だというのがわかっていた。それでも最後にひとつきちっと見たい、やって貰いたいという周囲の期待は理解できるところだろう。しかし、それにしても、引き際は難しい。余力を残して手を引くということができる人はそう簡単にはいないのだ。そんなことを許してくれないという状況も普通に存在するのだ。