ほぼ足りてまだ欲 その先

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西春彦

 著書「回想の日本外交」(岩波新書 550 1963)を地元の図書館から借り出す。西春彦は東條英機内閣の外務大臣となった東郷茂徳の下で外務次官を務めていた。極東国際軍事裁判では東郷茂徳の弁護人を務める。東郷茂徳は1950年に蔵前橋のアメリ陸軍病院でなくなったと書いてあるが、これは接収されていた同愛記念病院のことか。開戦時の日本政府から在米大使館への暗号電報のことを述べている。日本政府の暗号電報を米国は陸軍省海軍省で交互に解読して日本語原文とし、それを英訳していたのだそうだ。ところが甲案の英訳時の誤訳、ニュアンスのずれというものが重大な点に発生していたのだとしている。これを訳し直したものを極東国際軍事裁判法廷に提出したが判決ではまったく触れられていないと記している。
 さて、西春彦は講和条約締結後の初の在オーストラリアの日本大使として1953年1月7日にシドニーのキングスフォード・スミス空港に到着していて現地の新聞「シドニー・モーニング・ヘラルド」紙の3面に妻と娘の3人で降り立った写真が掲載されている。記事は全くなく、写真のクレジットがあるだけだ。3人は笑顔で写真に写っているが、そこに迎えに来ていたのは開戦時に日本にいた、外務省のエッカスレー参事官ただひとりだったと西は書いている。この後彼は各紙からのインタビューに晒され、かなり苦労をした様子が書かれていてとても興味深い。彼は1955年にオーストラリアから英国大使に転任している。日ソ交渉が始まるからという理由だったそうだ。1958年2月に引退している。1960年の安保改訂で彼は「偶然のなりゆきから」反対し、1960年5月14日に衆議院公聴会日米安全保障条約等特別委員会公聴会)に公述人として出席し、反対意見を述べた、としてある。この先はじっくり読んでみよう。