ほぼ足りてまだ欲 その先

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上野のお山

 あるグループの集まりで「上野のお山と人々」と題する散歩に参加。なにしろ大変にお詳しい方の引率で、このグループは今年こうした会合を四度開いている。今回が第三回。初回が浅草寺のなかを詳しく拝見し、第二回が中のお話だったのだけれども、残念ながら野暮用と重なって行かれなかった。今回はとにかく人に焦点をあててということで約三時間の散歩である。だから、上野のお山に散在する変わった建物やなにかの跡については今回は触れないという前提で、西郷さんの銅像下から話は始まった。なにしろ西郷さんという人は写真も肖像もないまま高村光雲が造った銅像だが、その10年前に明治政府が紙幣の発行のためにイタリアから招聘したエドワルド・キオソーネという人物に頼んだ。キオソーネは人の話を聞いて鼻から上を西郷従道に似せて、そして鼻から下を大山巌に似せて描いたのが、今西郷隆盛の肖像として知られているものだそうだ。つまり、私達が西郷隆盛だとばかり思っているあの絵は本当に似ているのかどうかわからない。お山の入口の階段に今でもたむろっている似顔絵描きのおじさんはどう解釈するだろう(今では単色似顔絵で二千円するそうだ)。
 凸版印刷のウェブサイトを見ると「東京・下谷区二長町1番地(現在台東区台東1丁目)に、当時の最新製版技術であるエルヘート凸版法をもって、大蔵省印刷局出身の技術者を中心に凸版印刷合資会社を創立」と書いてあるが、今日の話を聞くとこの日本の印刷技術を今日たらしめたこの会社の基礎にはエドワルド・キオソーネの力があるのだということだった。解説者のお話では明治の始まりに政府に雇われたいわゆるお雇い外人にはなんともいえない人種が少なからずいたというが、このエドワルド・キオソーネは本当に日本の近代化に尽力した数少ない人物のひとりだといって良いのだいうことだった。
 やはり上野の山といえば天海大僧正で、彼の毛髪塔なるものが残されている。何でまた毛髪、という気になるが、かつての僧侶は(今は知らないが)得度の際に剃髪した毛髪を残していたのだそうで、天海の没後こちらに納めたものだという。徳川家光は大層短気な人間だったそうで、寛永11年(1634,)二条城への留守中、西の丸御殿焼失し、任されていた家来は自費を用いて再建するも責任をとって蟄居。半年後に帰城した家光は何故蟄居したとして怒る。天海は家光との会食の際に出された柿を食し、その種を懐紙に包んで懐に入れると、家光がなにゆえにその様なことをすると聞くが、上野寛永寺にこれを植えるのだと答える。桃栗三年柿八年で、八年後に天海が家光に立派な柿を献上する。家光がこれはどこの産であるかと訊ねると天海はおもむろにあの時の柿の種であると答え、一天四海を制するものは短気であってはならない、人を育てよと解説したという。天海が亡くなると家光は年号を改めたのだそうだ。
 秋色桜という桜の木がお山にある。清水観音のちょうど裏手にあたる角である。日本橋小網町の菓子屋の娘、お秋が13歳の時に上野のお山で酔っぱらいが桜の枝に手を掛けるところを見て詠んだ句、「井戸端の 桜あぶなし 酒の酔」という句を詠んだんだそうだ。彼女は親孝行としてよく知られており、長ずるに及んで松尾芭蕉の弟子、宝井其角の弟子となる。この桜は説明書きによると他の場所だという説もあるのだそうだが、とにかくこれがおおよそ九代目になるという。この話は講談になっているのだそうで、そのまま「秋色桜」と題する。三田にあるという秋色庵大坂屋というお菓子屋さんがその子孫なんだと、こちらのサイトに書いてあるのを発見。
 1879年(明治12年)三選に破れたグラント元米国大統領が世界一周の途上、訪日。岩倉具視らが訪米した際大統領であったグラント将軍に帰国した岩倉、大久保が北海道の農作について相談する書状を送る。早速グラント大統領は農業担当官を日本に派遣。其の結果北海道でのトウモロコシ、ジャガイモの耕作を進言。こうしてグラント前大統領には大いに日本に貢献したことになる。訪日の際に渋沢栄一が精養軒での歓迎会を企画するも、それを相談されなかった岩倉具視はこれに大反対。しかし、上野市民がこれを後押しして話は復活。今度は渋沢栄一が岩倉に相談し、漸く実現。当時上野の山に競馬場が作られており、競馬を楽しんだという。
 グラント前大統領には「グラント将軍日本訪問記」がある(雄松堂出版 1997/02)らしいが原本がわからない。「Around the World With General Grant 」John Russell Young, Michael Fellman (著)という本があるが、元はといえば1879年にニューヨークで出版されたもので、これの日本部分(18-19章)の翻訳だろうか。
 初めて東照宮の中に入ってみると静かな秋の日暮れの中に華麗に佇んでいた。なんとここで37枚も写真を撮る。数撮ればよいものではない、の教訓をまた確認することになる。
 上野のお山からの帰路は駅へ、広小路へという驚くほどの人々の流れを生む。良くまぁこれだけの人がお山に来ていたものだ。36万坪は伊達じゃない。
 今日はたいしたことなく、1330歩。