ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

シンポジウム「ネットカフェ難民は、いま −ワーキングプアの実態と求められる対応」

 昨日のシンポジウムを振り返る。
シンポジスト:
水島宏明氏 (日本テレビ放送網報道局解説委員)
清川卓史氏 (朝日新聞東京本社編集局労働グループ記者)
 今年の流行語大賞のトップテンのひとつに「ネットカフェ難民」が選ばれた。「現代用語の基礎知識」を出版しているユーキャンが選定する。この表彰式にはその言葉に関連した人が招待されて何かプレゼントされている。この時は幻冬舎新書からネットカフェ難民—ドキュメント「最底辺生活」を出した著者、川崎昌平が招かれたようであり、水島宏明・日本テレビ解説委員もこのパーティーに出席していたそうだ。この時の会場には様々な人がいたようで「ネットカフェ難民」にはおよそ縁のない場所だったことだろうし、「ハニカミ王子」や「オッパッピー」とはあまりにも違和感がある。しょうがなく、まだ金がある場合にネットカフェで夜を明かす、そうでなければ珈琲屋で夜を明かす、さもなきゃとうとう公園ですごす状況にあることが「流行」なのか。
 水島はこのドキュメントを作る時に相当悩んだようだ。安易に「難民」という言葉は使いたくなかったといっている。しかし、自身の海外での経験に照らして今の現状を見ていると現地で見てきた「難民」の様子とその現状が似ているという直感を持ったというのだ。清川によればこの「ネットカフェ難民」という言葉のニュアンスに対して業界から抗議があり、「住居喪失不安定就労者」という言葉ができているという。私のたった一回の利用経験からいうと、そのネットカフェ固有の問題なのかもしれないけれど、なんだか古いRC造りの中学校校舎に入ったような錯覚を覚えた。床の感じ、ほの暗い感じ、角に埃が黒くなってたまっていそうな雰囲気、それでいて通路はピカピカしていそう。そして掃除箱のような匂い。ひとこまごとに区切られているユニットもさることながらカウンターに積み上げられたカップヌードルが異様な雰囲気だった。しかし、それこそが生きる場だという寂しさ、辛さ、諦めにも満ちているという印象だった。
 水島の番組に出てくる実際にネットカフェで暮らしている人たちの声を聴くと、しまいには「三食ついて、身体を動かすことができて、蒲団で寝られるということを考えると刑務所の方がましなんじゃないか」という声まで出てくる。行動範囲が規制されていない分だけ刑務所よりも良いのだという声が聞こえてくるような気もするけれど、一歩間違えれば路上生活に陥ってしまう生活が良いとはとても思えない。
 水島がこのドキュメントを手がけるに至るまでには経緯がある。彼は元札幌テレビで働いていた。1987年に札幌で3人の子を持つ離別母子世帯の母親の餓死事件があり、これを取材して後に地方の時代優秀賞〔88年〕世界テレビ映像祭海外審査員賞〔88年〕をそれぞれ受賞した「母さんが死んだ~生活保護の周辺」というドキュメントを制作し、1990年にひとなる書房から「母さんが死んだ—しあわせ幻想の時代に ルポルタージュ「繁栄」ニッポンの福祉を問う」を刊行している(文庫版は社会思想社 1994)。以来貧困問題をテーマに取り上げているのだそうだ。今月「ネットカフェ難民と貧困ニッポン」を日テレノンフィクション第1弾として発刊するという。
 清川は学生時代に母子家庭子女の勉強を支援するというボランティア活動をしていた経験がベースにあり、1993年に朝日新聞に入社。昨年から本社労働グループに配属になり、2007年に入ってから「ロストジェネレーション」「分裂にっぽん」といった連載もの企画を担当してきた。2006年頃には「日雇い派遣」そのものを問題視していたが、それを取材していく中で「ネットカフェ難民」に辿りついたという。
 二人はそもそものとっかかりは異なっているが、ネットカフェ難民を取材するうちに、ネットカフェ難民を支援する団体がそれほど数多くあるわけではないので、どうしても取材先が一緒になり顔見知りになったのだそうだ。取材先の中にはもちろん良く名前の出る「もやい」の湯浅誠も含まれる。
 水島がいうように「日払い派遣」で検索してみるととんでもない数のサイトがヒットする。「どんなお仕事も 「給与全額日払い!」 すぐにお給料がもらえます。 どんなお仕事も 「給与全額翌日銀行振込!」 自分の時間が自由に使える。 「少しだけ短期でアルバイトがしたい」そんなとき、希望日にお仕事ができます。」こんな言葉が踊る。
 水島は登録したことがあるというが、清川はその上、日雇い派遣にいってみたという。派遣先から稼働確認を貰うためのカードを支給されるが、そのカードの裏には「スタッフIDカードでクイックキャッシング!」の宣伝が刷り込まれていたという。つまり、こうした日払い派遣に就労する人たちが如何に容易に高金利金融に手を出しやすいかということを物語っているし、世界中どこででも見られる貧しいがゆえに絡め取られやすい商売の餌食になりやすい、ということでもある。
 登録をするためには履歴書も写真も要らないし、ましてや住民票や健康保健証も要らない。これまでどんなことをしてきたかも全く問われない。いつから働けるのか、だけが関心の対象だったようだと清川はいう。データー装備費とはなにかと聴くと「派遣先の備品を壊したら弁償できないでしょ?」という答えだったそうだ。普通には労働中の保険だという説明もされているらしい。勿論それはありえない。つまりこの時点で既に派遣会社は嘘をついて200円を搾取しているということである。後での話だけれど、実際に日雇い派遣のしかも二重派遣で(労働者派遣法で禁じられている)港湾労働についた人がコンテナ内の荷崩れで大きな怪我を負った人に対しては全く保証されていないという現実もある。
 経済財政諮問会議などで語られている内容を見ると、これまでの労働者派遣法だけではない労働関連の法改正が如何にそれまでの状況下では違法労働であったものを合法化するためのものであったかということを認識し、その上で現実を見て欲しいという話は何回強調してもしすぎることはないだろう。
 貧困対象商売というのは様々なものが考えられるようで、例えば大家に変わって一切の運営を仕切る方式のアパートというのもそのひとつといわれている。家主はそれだけの管理委託費を払う代わりに借り主を捜す手間がない。その分負担は借り主にいく。一日でも家賃を滞納したらそのまま荷物を取り出すこともできないで放り出されたという話は枚挙に暇がない。
 データー装備費に見るだまし討ちマージン搾取もさることながら(グッドウィルは過去2年分しか返さないと主張している)、この種の派遣業務の上では派遣会社が派遣先企業から得ている報酬から派遣労働者への報酬の間にどれだけ中間マージンを載せようとそれに関する規制はない、というのが厚労省の見解であるという。この話を聞くと防衛省向け納入契約の中で水増し請求というのが問題になっているのなら、なぜこちらは問題にならないのだろうかと理解が難しい。純粋な職業紹介の場合には中間マージンは上限10.5%と規定されているのだけれど、日雇い派遣についていえば実態としては職業紹介だけれども網にかからない業態で、グッドウィルは「37%の粗利」を稼ぎ出しているという。例の「データー装備費」はグッドウィルの粗利の1.4%に相当すると社内のデーターでも語られており、彼らが「データー装備費」を廃止したとしても、中間マージンをその分上げればよいだけの話だ。そんなことしたら日雇い派遣労働者にばれるだろうという疑問を持つかもしれないがそんなものは「これまでとは違う仕事」だと云えばそれで済む。
 どうもグッドウィルという会社は、今回の「データー装備費」に関する対応でもそうなのだけれども会社全体のあり方が場当たり的だという印象が強いという。経済界自身が少々の法律違反があったとしてもそのうち「法律を実態に合わしていけばよい」という考えの上に動いているというのが実感されるというのはまさにその通りだろう。今回の鹿島の使途秘匿金なぞという居直った経費の考え方がそれを象徴している。法としてはなんら根拠のない用途に支払った金については商取引上の経費として認めないというのは当然のことだろう。しかし、彼らはそんなの知っている、罰金(この場合は加重納税金だけれども)払やぁ良いんだろうというものである。
 フロアからの若い人の質問にもあったけれど、「じゃ、何もこんな労働につかなくたって直接雇用の労働につけばいいじゃないか」という疑問が上がる。日雇い派遣業者もそれをいう。「いやなら他に行けばいいじゃないか」と。「負のスパイラル」の中に陥っている人たちにはそれができない。「もやい」の湯浅誠がいうように、こういう状況に陥った人たちには人生の「ため」がない。一ヶ月後の10万円より、明日の5千円が必要なのだ。これは日雇い派遣労働者だけの問題ではない。貧困問題のすべてに共通する問題だ。何をするにもその拠点となるべきところも心の拠り所もない。
 一歩外に出てイチからその住処を確保するところから始めてみるとそれはよく分かる。賃貸の住処を借りようとすると保証人の判子を貰ってこいと要求される。大家も大家から委託されて成約した時にそのマージンで稼ぐ街の不動産屋も取りっぱぐれがあったらそこから取れるようにと云う考えだ。じゃ、さっきも話に出たように、そんなもの要らない、敷金も礼金も要らないというものがある。但し居住権は認められない。支払いが一日でも遅れたら入室できなくなり、利用料の10%の違約金の支払いを求められ、再利用するには1.5万円あまりの再利用料を払うなんてハンデがつく。
 この国では「貧困問題」そのものがメディアの関心を呼ばないと水島は明かす。特に「明るく、楽しく」のテレビではウェルカムされないという。なるほど「NNNドキュメント’07」の放映時間を考えてみれば納得がいく。小島よしおに象徴されるバカ騒ぎか、格闘技、スポーツ、ペットもの、あるいは子どもものである。欧州では、例えば英国のBBCでも貧困について真剣な討議が放送されている。セイフティー・サポートの観点でも「今現在のこの国におけるブレッド・ラインはいったどの辺か」という議論がされている。しかし、この国ではそんなことが語られる以前に、この種の話題を取り上げると必ず反応の三分の一は「本人に帰すべき問題だ」というもので切り捨てられる。特に政治家はその傾向が強い。東洋大学総長の塩川正次郎はテレビの中ではっきりと「あれはねぇ、甘えてんですよ」と発言しているくらいである。古川考順ライフデザイン学部長、あるいは高橋重宏社会学部長のご意見を伺ってみたらよいのではないだろうか。(ところで、この大学にはどうして同じような分野を二つの学部に分かれてやっているんだろうか。)
 水島はアカデミズムがより大きく機能する必要があると力説する。確かに御用学者が氾濫する中で、財界が中心となってより財界が潤うための法整備に官僚と政治家が躍起となっている中で切り捨てられようとする経済的弱者を救う一歩はアカデミズムが味方についた草の根しかないのかもしれない。そのためには少しでも多くの理解者を、この状況を認識してくれる人を増やすことが不可欠なことだろう。
 こうした若年労働者をこのような状況に放置しておくことは勿論少子高齢化に拍車をかける結果を招いているというのは事実だろうし、年金のあり方を含めて全世代に波及する問題なのだという認識を是非持って貰いたいと最後に清川は付け加えた。