ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

パネルディスカッション

 “信号機の壊れた「格差社会」”というパネル・ディスカッションにいった。出席者は雨宮処凛佐高信そして関西大学森岡孝二の三人である。雨宮は既に周知の若手作家であり、近頃の活躍は目を見張るものがある。佐高もまた歯に衣着せぬ発言でそのフェアネスには脱帽である。森岡は1944年生、専門は企業社会論で株主オンブズマンを主宰する。
 開会される5分前に狭い会場に到着すると既に着席している聴衆は6割くらいだったけれどその大半が白髪あるいはもう薄くなりつつある私のような年代のおじさんおばさんばかりであり、その中に少しずつの若者が交じっている。この5分間に会場にはどんどん人が集まり始めたが、特におじさん連中が素直に席を譲ろうとしない。意図的にやっているのではなくて愚かにも気がつかないという様子である。

佐高信

 この集会のタイトルである「信号機の壊れた」は週刊金曜日の社長である佐高信が命名したのだそうだ。佐高の話は「夕日の三丁目」からはいる。
 六ちゃんは鈴木オートでは良くして貰っているし、彼女も巧くやっている。けれど、集団就職はそんなに巧くいった人たちばかりではなかったことがあの映画にはやっぱり抜けている。佐高は1945年、山形県酒田市の生まれである。彼の時も私の時もほぼ同じだろうけれど、中学の同級生の中にはそのまま就職した者が何人もいた。勉強ができたとしても家庭の事情で泣く泣く進学を諦めた同級生は枚挙に暇がなかっただろう。そんな坂田の同級生の一人が、教室で先生から卒業後の希望を書けといわれて彼女は「進学」と書いた。教師が「君はもう就職が内定しているんだろ?」と聞くと、彼女は「そうだけれど、先生は“希望”を書けといったじゃないか」といったのだそうだ。ことほど左様に当時も勿論そうして格差はあったことは保守政党政治家がよくいっていた通りである。しかし、今の状況にはまさに歯止めとなるべき信号機が全く壊されてしまっていて、やりたい放題になっていることを忘れてはならない。
 こうした状況を創り出したのはもちろん小泉・竹中が競走のための規制をとにかく取っ払うというジャングルの弱肉強食「新自由主義」でなくて「旧自由主義」のおかげだ。それでも入口を入るとすぐに出口だという奥行きのない男、小泉純一郎をもて囃したのはまさに国民そのもの。MHKの三悪人(村上世彰堀江貴文木村剛)の中でも最も悪辣なのは木村剛という日銀出身、竹中の弟分、日本振興銀行の男で、この銀行は彼の妻の会社にたった3%の金利で1.8億円もの金を融資した。MHKの三人の中でも比較的政権与党にダメージの少ない二人は捉えられたけれど、肝心のこの男だけは野放しになっている。
 企業がここまでやりたい放題な状況になっている裏には2001年に東京証券取引所を株式会社化したところにこの国の野放図さが現れている。企業活動上のアンパイアとなるべき証券取引所を利益追求集団である株式会社にしたことは「信号機」をすべて「青」にしたということだ。
 かつて鈴木宗男ヒューザーの小嶋の対談を司会したことがある。そのときに小嶋は「私は審査を通らなかったものを売ったんじゃないんだ、その審査を通した機関の責任はどこに行ってしまったのか」と主張した。その時に鈴木宗男が「小嶋さん、私達は顔で損をしているんだ」といったのだそうだ(会場爆笑)。本当の悪人は悪い顔をしているわけではなくて紳士面をしている。小嶋の夢はと聞くと彼は「社会正義の実現です!」と答えたというのだ。
 佐高は国鉄の民営化も反対していたという。民営化という言葉はなんだか開かれるイメージがあるけれど、実はなんということもなく「株式会社化」なんだということを忘れてはならない。JR西日本福知山線事故もあるけれど、JR東日本の山形での突風横倒し事故も問題。あの地域にはこれまで突風は吹いたことがないのかといえば、そんなわけがない。JR東日本松田昌士はコストの削減を実現するために車輌の軽量化に成功したと書き、その中で国鉄時代には技術が煩くてできなかったとしているそうだ。つまり安全性を考えたらそう踏み切るべきではなかったものが株式会社化されて、そこをすっ飛ばしたという意味であるという。鉄道という移動手段が生活上のインフラとしてかけがえのないものだという認識がいつの間にかどこかへ行ってしまった。「国鉄は赤字だというが、消防や警察について赤字だという話は聞いたことがないじゃないか」という声はこれを意味していた。国民の痛みを少なくすることが政治の役割にもかかわらずそれをしなかった小泉・竹中の時代は政治がなかったと考えなくてはならないのだ。

雨宮処凛

 雨宮処凛はいつもの出で立ち。最近はフリーター取材よりもホームレス取材になってきている。中には正社員から直接ホームレスになってしまう人まで出ている。こうした人が「一体どうやって生きていけばいいのか」と警察に相談しても「釜ヶ崎に行け」といわれたくらいで、そこでは福祉事務所に相談に行ったらどうかという言葉はどこからも出てこなかった。就職氷河期に生み出されたロストジェネレーションには致し方なくフリーターで15万円以下の月収では常に賄えなかったけれど、親が死んでしまったらそのままホームレスになってしまうという怖さが常にあった。フリーターを積極的に正社員として雇った企業は1.9%に過ぎないという数字もある。フリーターも年齢が進むに従って働き口が少なくなるだけではなく年収も減っていく。その結果ネットカフェ難民化する場合がある。こうした人たちからまたむしり取る貧困ビジネスがそこにまた跋扈する。こういう話が出ると必ず自己責任論が語られる現実がある。
 取材を進めていくと、製造派遣で各地を巡った挙げ句ネットカフェ難民化するケースが顕著である。地方では時給が低くく、若者の失業率は高い。そんな地域で製造業への派遣を募る企業は面接会場をハローワークにするという手段まで弄している。挙げ句派遣先の製造現場ではいくつもの経費をさっ引かれた挙げ句景気のバッファー、調整弁として斬られていく。現地でホームレス化し、あるいはカフェ難民化する。本人は自分が悪かったからこうなったんだと考えている。正社員であれば身体をこわしても生きていけるメドがついているが、彼らは即危機に立つ。ネット心中の人たちの中にはこうした境遇にあった人が多いともいわれる。
 2007年4月30日に行われたフリーター・メーデーの様子を撮影したビデオを流す。

森岡孝二

 森岡孝二は「名ばかり管理職」の話から始まった。正社員になってすぐに店長になって管理職となってしまい、残業がなくなる「店長」の話。そして単なる従業員で30数万円あった月収が管理職となって一気に20数万円にさがってしまった洋服チェーンの店長の話。(この話を聞いていて、私のいた会社の人事システムを思い出す。係長になるとすぐに管理職として組合から脱退させられる。すると全く残業がつかなくなり、その当時の私は月間残業が100時間を超えていたから月収は一気に2/3に下がった。この傾向がどんどん加速されているということか。) 日本の格差社会の特徴は勝ち組と見られている人でも追い込まれているということが云えるという。本人には実情を訴える時間もなければ気力もない。最も必要な時に政治は現場から離れている。
 1982年に大阪で過労死協議会が始まる。バブル期には「過労死110番」が大阪で実施された。1988年以降「過労死」が普通の言葉になり、減るどころか増えている。20年前までは「ワーキング・プア」という言葉はなかった。敢えてあげればlabor poorという表現だった。「ワーキング・プア―アメリカの下層社会」デイヴィッド K.シプラー著、森岡孝二訳(岩波書店 2007.02)の原著が出版されたのは2004年のことである。
 1980年代後半(バブル期)から日本は米国に向かって走っていた。あのオリックスの宮内は「今、日本に求められているのは米国に向かって走れということではないか」と書いていた。
 2006年のOECD報告によると中くらいの所得(ex.400万円/年)の半分の人口がもっとも多いのは米国が1位で、日本が2位。フランスは税と社会福祉によってこれをカバーしているが、日本は全く逆のパターンにいる。 生保の話になると必ず「不正受給」がカウンター・パートから出てくる。確かに一部にはそうした輩がいないとは云えない。だからといって本当にその助けを必要としている人を閉め出す理由にはならない。実際に不正をはたらいているのはむしろ権利のある人に支給をしようとしない役所なのだ。これは敢えていうなら「福祉詐欺」とでもいうようなものだ。現状から見ると年収150万円未満が労働人口の25%、150-300万円が25%ということができる。つまり年収300万円未満が労働人口の半分を占めるというのが現状であることを認識して欲しい。家族単位で見ると約18%が年収300万円未満だということである。かならず「企業が潤えば日本が潤う」んだといわれる。本来政治がするべきことをしていないし、格差を拡大する作用を果たしてきたことを認識しなければならない。経団連献金を積んで自民党を長い期間にわたって飼い慣らしてきたということ。しかし、前回の参議院選挙で兆しが見られてきたことは確かだろう。たとえてみれば課長クラスの中間管理職層は昇進、家族のことを考えて黙っているわけだけれども、若い人たちは今や黙ってはいない。声を上げ始めていることが大きい。野党、連合、労連が一致して動けば世の中が動く可能性は大いにあり得るのだ。英国のブレアー政権は数次にわたって最低賃金を押し上げる役割を果たしてきた。米国ですら2008年までに最低賃金を$7.25/時まであげることになっている。確かに企業が悪い。だけれどもそれを変えさせていくのは政治の役割なはずだ。「壊れた信号機」は政治が直すのである。

質問

 10分間の休憩を挟んで質疑に対するコメントとなる。

佐高

福田は鷹か? 簡単にいってしまうと自民党タカ派かハトかという尺度は「中国共産主義に敵対している場合をタカ派」「メリットがあれば付き合うというのをハト派」というもので、福田康夫は-10に比べれば-6程度のタカ派ハト派はダーティに流れやすい。田中角栄自民党としての立派なハト派だったわけだけれども、ダーティー発覚した。小渕はその後の面々に比べればまだマシ。麻生は論外で、口にもしたくない。とにかく二世、三世は本当のことが分かってないから全然ダメ。小沢は比較の問題だけれど、元々は田中派。小泉・安倍よりはまし。但し「-3」位のまし加減。連合が動くかどうか。
 資本主義の原則は「独占禁止」であるはずだ。大きくなったものは分割されるべきだ。例えば、トヨタを分割するべきである。トヨタの悪口がどこかに出てくるかといえば全く出ては来ない。コマーシャリズムに基づいているマスメディアにはその弊害が現れては来ない。(だから週刊金曜日の存在意義がある)。

雨宮

反貧困ネットワークが12月22日から発足することになった。
ワーキング・プアから戻ってこられるのか:家なし、所持金ゼロの状況で福祉事務所に行っても追い返されてしまうのが現実だ。どうしたら助かるのか。湯浅誠の「もやい」にはホームレスだけではなくてネットカフェ難民状況にある人たちも助けを求めてくる。そうした人たちに対して「甘えている」「好きでやっている」といった類の反論が必ず出てくる。彼らはネットカフェにいられない時はどうしているのか。パチンコ屋、あるいは公共施設のトイレに入って寝ていたりする。あるいは電車に乗り続けて寝る。しょうがないからずっと歩いていたりする。3ヶ月の生保さえあれば、立ち直ることのできる人はいくらもいるはずだ。
 そうした人たちを相手に儲けようとするといわゆる「貧困ビジネス」がある。多重債務解決弁護士の中にも貧困ビジネスとしてやっているものすらいる。バブル期の高卒、大卒の就職率に比べたら、好転したといわれる今でさえ30%くらいの差がある。自己責任なんかじゃないものまで自己責任だとしてしまって、本人がそんな言葉に翻弄されるのは政治にとってもっとも理想的だろう。金がかからず文句もいわない。

森岡

 米国には最長労働時間に制限枠がない。週40h以上の労働に関してそれなりの労賃支払いがあるだけ。全労働者の20%に該当するホワイトカラーには残業規定はなく、年棒とするのが普通である。これを日本に導入しようとするとのがあのホワイトカラー・エクゼンプションである。労働基準法が機能しているかといえば訴えることができたら労働者が勝つのがほとんどだという状況からいえば生きているといって良いだろう。しかし、現実の現場はとっくにその辺が取っ払われている。先月発刊されたばかりの「エンドレス・ワーカーズ―働きすぎ日本人の実像」小倉一哉著 (日本経済新聞出版社 2007/11)が参考になる。現実には労働時間の規制を受けないで働いている人が20%程度に達しているといわれていてすでに米国に追いついてしまっている。あの奥谷禮子がいうように実際に過労死は自己管理しないのがいけないというようになっていってしまう。それこそ「自己管理労働法」なんてことになりかねない。労組の組織率は既に20%を斬っている。製造業の組合が日本の労働運動の根幹を構成していたのが、もうほとんど崩壊しつつある。企業内組合でしかなく、男性正社員組合でしかない。このままでは組合は全く意味をなさない。

佐高

 壊れた信号は壊したものに直させなければならない。民主が勝ったことによって少しはよりが戻るだろう。滋賀県知事は社民党だけの支持に過ぎなかったのに勝ったじゃないか。これは象徴的な出来事だったわけです。