「乙女探検隊」は橋達也で浅草からの中継だった。橋達也という名前を聞いてすぐにそれが誰だか分かる人は相当にコア、なんじゃないだろうか。「ダメナノネー、ダメナノヨー」「千葉の女が乳しぼり」の“ストレートなんたら”の一人といえば、あぁという熟年層がいくらかはいるんだろう。彼はもう70歳だという。浅草の木馬館で「お笑い浅草21世紀」という会を続けてようやく10年になったのだそうで、明日からまたその公演があるんだそうだ。浅草の街を歩くとどこへ行ってもそのポスターが年がら年中貼ってあるから随分多くの人に知られている。しかし、浅草に来ない人には全く知られていない。当たり前だ。
浅草で喜劇といえば、今度はあの出たがりで有名な(浅草にはどうしてこう出たがりばかりがいるんだろうねぇ・・)居酒屋のおやじさんが言い出しっぺで「デン助劇場」を再現するという話で持ちきりだ。持ちきりったって一体全体何人の中で持ちきりなのかわからんけれど。「デン助」ったって今の人たちには、そりゃなんなのか全然わかりゃしないんだから話にならないんだけれど、あれは土曜日だったか、今はなき松竹演芸場からテレビで毎週中継されていた。関西の吉本新喜劇、松竹新喜劇と同じように関東には「デン助劇場」やら「浅香光代」「大江美智子」の女剣劇のテレビ中継があった。
そんな火がみるみるうちにくすぶって、煙すら出なくなっちまったのは一体いつ頃からのことなんだろうか。それがはっきりと思い浮かばない。漫才ブームがこうした世界に必要だった若手を持っていっちまったのだろうか。そして今またM-1じゃないけれど若い人たちの中でお笑い芸人といえば吉本所属の漫才コンビ、お笑いコントばっかりになってしまったのだからこれからもそう簡単に地盤は復活しないかもしれない。なにしろ浅草の東洋館の前に張り出してある出演者の名前を見ても全く想像すらできないか、ずっと昔にテレビに出ていた人たちの名前くらいだ。一体全体どうしたら本当に復活することができるのだろうか。
この番組は良く浅草からの放送があるんだけれど、こうした人たちの話を聞くと「頑張る」やら「俺はねぇ・・」やらの話がこれでもか、これでもかと聞こえてくる。そりゃここまでたたき上げてきた人たちは様々な経験を積み上げているし、それこそ辛酸をなめ尽くしてきているはずだと想像が付く。こうした話を浅草あたりの呑み屋でどれほど毎晩繰り返されているのだろうかと考えると、気が遠くなりそうではある。