ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

突然の 

 昨日見た様な見たことのない様な男性名の封書が届いた。開けるとあたかもパーティーへの招待状の様で出欠の返事用葉書までついている。本文を読むとそれはなんと40年来の友人の突然の死を告げる彼の息子からの、彼を偲ぶ会への案内だった。(のちほどの先輩からのメールによると出張先の外国のホテルでの客死だという。)
 まだ私達が学生だった頃に始まる付き合いだけれどしょっちゅう会うわけでもないのに、年に2-3回は誰かの家での呑み会で「おう、おう!」といいながら呑んでは、じゃまたねと別れていた。昨年秋にいつもの会が様々な事情で開かれなかったのだけれど、彼が珍しく「どうして?」とメールを寄越し、事情を説明したら年末はロンドンで、年明けにはパリに仕事で行くんでしばらく逢えないと云っていた。そろそろ帰ってきたのかなぁと思っているところへのこの封書だった。
 彼と初めて出会ったのが一体どこでいつで、誰の紹介だったのか、全く思い出せない。ひょっとするとその後彼とその話をしたのかも知れないが、多分酔っていたはずだから良く、というか全く、思い出せない。しかし、1970年の秋くらいには既に一緒に目黒公会堂のステージに立ったことがあるのだから、少なくともその前のことだったのだろう。私は先輩方が創設されたインター・カレッヂのサークルに携わっていた。その場に私達の下の世代として加わってきたうちの一人が彼だった。1972年の春に乗鞍のペンションにその仲間でスキーに行ったことがある。その時彼は古いけれど一応はそうだというアルファ・ロメオに乗ってきて雪道で苦労していたことが記憶にある。私は全く大したことのないスロープで油断してこけ、肩をしたたかに打って痛くてしょうがないから安曇野の診療所まで歩いて降りた。診て貰ったけれど、その時の医者は内科医で、「私が診ても大丈夫だから骨に異常はない」という不思議な診断を貰って、それでも肩を吊って貰い、またえっちらおっちら歩いてペンションに戻った。その道すがら村の雑貨屋さんに寄ると棚にワインが三本あるのをみつけ、一本買ってラッパ呑みをしながら歩いた。ペンションに帰ると彼がどこから買ってきたんだと聞くので説明をすると、車を飛ばして買いに行った。残りの二本を買い、他にも買ってきて、「村のワインを買い占めてきた」といったのを思い出す。
 彼と彼の仕事についてはほとんど話さなかったけれど、コンベンション関連の仕事をしてきた男で、途中で会社を変わっている。年に2-3度会うたびに呑みながら随分話をした記憶があるのだけれど、今になってみると、じゃ何を話したのだろうというとそれほど大したことを話してはいなかった。それでも彼と会うとなんだかホッとした。気を許して話のできる相手だった。面倒なことを彼も、自分も持ち出さなかったということだろうか。
 それにしてもなんで彼はこんなに早く逝ってしまったのだろうか。