ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

Grand Canyon→Las Vegas

日の出を見る

 昨日は日没のグランド・キャニオンを見た。と来れば今朝は日の出のグランド・キャニオンを見ることになる。朝04:40集合である。早いなぁ!しかし、それにもめげずきちんと起きだし、しかも寒さ対策にYellowstoneで新規購入に及んだColombiaのグリーン・ジャンパーが登場だ。昨日と同じMather Pointに到着。こりゃ確かに寒い。不思議なことに出てくるお陽様を見ようとする人たちとお陽様によって照らされる岩の輝きを見ようとする人に別れている。東洋人(その大半は勿論日本人)やインド人(いやひょっとしたらスリランカの人かも知れない)の多くは日の出の方向を向いてカメラを掲げている。
 私たちはSouth Rimといわれる南側の縁から見ている訳だけれど、これを反対側の縁から見る人たちはどんな具合なんだろうか。別段雰囲気は変わらないのだろうか。南側から見るのは昼日中であったら写真は撮りやすいだろうし、その点では有利だけれど、べたな写真になっちゃうということだろうか。尤もそれは余程腕のある人が心配すればよいので、まともな色に撮れない私なんかが心配する筋合いもない。
 太陽が上がってからさてそれではと帰る訳だけれど、それからの方がよっぽど眠くなる。これまで買ってあった様々なパンの類を珈琲を沸かして食べる、それを朝ご飯ということにする。本当に施設に行ってご飯を食べないのである。それでも今夜はLas Vegasだから美味しいものを食べたいと思うけれど、きっと疲れていてどうでも良くなるんだろう。
 朝食を取ってから、トコトコ歩いてRed Shuttleで西の方に行こうと歩き出す。Maswik Lodgeの前で案内板を見ていたら東洋人の男の子が何を捜しているんだと聞いてくれるから「shuttleに乗ろうと思ってね」というと、ここをまっすぐ歩いていくと停留所がありますよと教えてくれる。どうもどこかで見た様な気がするなぁと思ったら、多分彼は昨日キャフェテリアでスープの担当をしていた青年だ。一体どこから来たんだろう。日本人だったら面白いんだけれど。

shuttle

 こちらに案内が出ているんだけれど、South RimにはBlue ShuttleとRed ShuttleそしてGreen Shuttleが走っている。赤と青の接点がMaswik Lodgeから縁に向かったところにあって青はこれからMather Pointまで行っている。朝はあっちに行ったので、今度は西の方に赤で向かう。乗るや否やドライバーの案内を聞いていると今は工事が行われているのでHopi Pointまでしか行かないという。そしてHopi Pointからはノンストップで下まで戻ってくるというやり方だ。間の停留所は3ヶ所しかない。三つ目のPowell Pointでバスは三分間停まると聞いた連れあいはそのままLook-out Pointの方へ飛び出していって帰ってこない。仕方がないから私も降りてバスをやり過ごす。なんだと聞いたら三分間で戻ってこれると思ったというのである。自分が来たこともないのに。どうしてPowell Pointのことが分かるんだろう。Hopi Pointまでは歩いて大した距離ではなかった。実はこの辺はすでに標高が2000mを越えているので走ったりすると一気に苦しくなる。長距離選手じゃないからこんな訓練をする必要がないのに。景色をじっくりと眺めてから、下まで歩いても大した距離ではなさそうだとそこにやってきたバスの運転手に聞いたら2マイルだという。なら1時間でいけるんじゃないかと思ったが、彼女は「だから2時間かしら」というのだ。あれぇ・・とも思ったが逡巡する。

ウラニウム鉱山

 驚くべきことにGrand Canyonにはウラニウムの鉱山があった。今でもその鉱山の櫓が残されていてそこは裏から塀がしてあって踏み込めない様になっている。Orphan Mineという名前が付いていて日本語にすると「みなし児鉱山」とでもいうことになるだろうか。当初は銅を発見し、1905年の写真によれば木の梯子をかけて1800ft(600mくらいか)を垂直に降りたという。1951年にウランが見つかり、1950年代には国立公園の中だというのに全米一の埋蔵量だったんだそうだ。1969年に純度の高いものを生産してしまい、1988年にNational Park Serviceがようやく買い取ったということだ。今でもてっぺんの塔が残っている。
 Maricopa Pointから上りのバスに乗り、Hopi Pointで発車寸前のバスに乗り換え、下まで一気に帰ってきた。同行の方が歩いて降りてこられたそうでやはり1時間だったと仰っていた。そりゃそうだろうなぁ。降りてきてLodgeの新聞販売機を見ていたらこの施設の運営を委託されているXaharren社は今度コロラドの富豪が買い取ったという記事が出ていたけれど、これから先、何か変わるのだろうか。

バスは進行-ルート66

 私たちの黒バスは11:00に宿舎を出発した。11:50にはWilliamsの街を通過した。バスの中が寒くて閉口する。かつてはWilliamsからGrand Canyonまで鉄道を利用して入ってきていたのだそうだ。そういえば私たちのロッジの目の前に線路があって客車を何輛もつないだディーゼル機関車が止まっていた。しかも、朝10時頃にはなんと蒸気機関車がやってきたのである。なんだ、電話をかけに管理棟になんかいかなければ良かった。
 Williamsから私たちのバスはIS-40に乗って西を目指す。しかし、20マイル程行ったところにあるAsh Forkの街でHistoric Route 66のサインに従ってこれを降りる。するとこの街はごく普通の田舎町ですぐに石屋さんばかりである。バスがウロウロしているなぁと思ったらすぐにIS-40に戻る。昔のroute-66は道が消滅してしまっているのだ。今度は大丈夫。Seligmanという街で降りる。この街は床屋のおじさんがなんとかしてかつてのRoute-66を走れる様に保てば街興しになるだろうと頑張ってきたのだそうだ。なにしろ昔のRoute-66はシカゴからLos Angelesまで繋がっていたというのはあのジョージ・マハリスやナット・キング・コールが唄っていた歌詞を思い出せば分かる。この歌詞にはKingmanという街の名前が出てくる。このKingmanの70mile程東にあるのがSeligmanだ。床屋のおやじさんは全国のRoute-66の街と連繋運動をしたそうだ。日本でいえば中仙道宿場町連合みたいなものか。というわけでここを通りかかる観光バス、ガイドはここに集まってくる。トイレも使えるし、お店からの優遇もあるし。床屋の向かいは寂れちゃっているけれど、並びには数軒お土産屋休憩所で盛っている家がある。床屋の真ん前に止めてある赤いバンの前にいたのは・・・なんと!Yellowstoneでの私たちのガイドだったブライアンであった。最初彼は私を思い出さなかったけれど、すぐに想い出した様だ。来週彼は大きなバスにガイドは自分一人で行くんだよ、辛いなぁとつぶやいた。
 ここの床屋兼土産物屋には訪ねてきた人がベタベタと名刺を貼り付けている。なんだか大昔の六本木のイタ飯屋の様だ。日本の旅行代理店の名刺がたくさんある。それだけ双方にメリットありなんだろう。California のOakland近くのEmeryvilleにあるPIXARのスタッフがおいていった(まぁ、日本でいえば色紙の様なもの)も名刺と共に残されている。床屋のおじさんの息子が店をやっているというのだけれど、これがえらく愛想がよいのだ。向こうの方でソフトクリームを売っているというのでいってみると犬を連れたおばさんがいた。とてもフレンドリーなおばさんで、挨拶をするとすぐにうち解ける。とてもなんだかぼさぼさした灰色の犬だったので、「コヨーテじゃないでしょうね」というと大笑い。「私は田舎に住んでいるからこの犬もこんなにいっぺんに人にあったことがないから驚いているのよ」という。東京なんかにいなくて良かったよ、この犬は本当に。
 またIS-40に戻って昼飯予定地のKingmanに急ぐが舗装の修理が行われていて渋滞する。ロードローラーの運転席が前を向いていなくて横を向いている。どっちに向かって転がしても良いという体制である。道路の横に走っている伝線を支えている電柱には様々なタイプがあって、実にこれは面白い。スケッチできるものはできるのだけれど、簡単な鋼材を使って複雑にトラスを組んでいるものはスケッチできない。道路のガードレールが不思議だ。波になった鋼板が並んでいるのは日本と変わらないのだけれど、それを支えるものが角材なのだ。日本ではほとんどパイプである。鉄がない?

昼飯はbuffet

 14:20 ようやくKingmanに到着する。バスはショッピングモールに入っていく。大きいモールだ。あ、In-N-Outを発見したけれど、バスはどんどん離れていく。700m程先の「Golden Corral」という店に停まった。ここも流行のbuffetだそうだ。入る時にお金を払うんだけれど、料金表を見ていたら60歳もしくはそれ以上がシニアと書いてあって普通の料金より、ほんの少し安い。早速シニアふたりといって入る。席に着くとウェイトレスのおばさんが人の顔を見ては「ticket!」といっている。そんなもの貰っちゃいない。クレジット・カードの受け取りと領収書を貰っただけだ。するとそのおばさんがそれをふたつとも持って行っちゃう。何だよ、そりゃ俺のだろうというと、「ティケッツ!」というのだ。なんだよこれ、と思っていると向こうの方で関西弁のおばさんがガイドのT君に「なんやのんあれは!」と噛みついている。彼は飯を喰う暇もない。何と彼が聞いてきた回答は「このお店のウェイトレスの人たちがティップを会社から分けて貰うための計算根拠にしている」というのだ。お、tipを置かなくて良いということであるけれど、会社と従業員の間に信頼というものが成り立っていない証拠だ。会社のレジは信用ならないということに他ならないからだ。こりゃ困ったねぇ。お、向こうの方でブライアンがお客さんとやっぱりここで飯を喰っているぞ。JTB系は全部同じルートを辿る訳かな。
 15:25 昼飯を終わってようやくKingmanを出発する。私たちは68号線を西に向かい、Laughlinで州境となっているコロラド・リバーを渡ってNevada州に入る。95号線に右折して一気に北上する。途中で長距離トラックを追い越すと、運転席の窓は開いたまま走っている。エアコンを効かせずに窓からの風を入れている。燃料費を節約するためか。

ツアー終了

 Las Vegasに到着してからすぐに向かったのは空港だった。Los Angelesから来たという子ども二人連れの家族6人がここで降りる。それからルクソール、ベラッジオ(札幌から来た若い女性ふたりはここに泊まっているのかぁ、金持ちだなぁ)、私たちふたりだけParisで降りた。この三日間で何キロ走ったのだろうか。あのドライバーの事故処理はうまくいくのだろうか。
 レセプションがまずどこにあるのか分からないのが博打場のホテルにバスで着くと困ることだ。ようやく見付けてチェックインしたのはよいが、今度はエレベーターを捜す。ようやく部屋にはいるまでに疲れる。さて、今夜はシルク・ド・ソレイユの「オウ」をベラッジオで見る。10:30からの公演をブックしてある(最近日本のお店に予約するときに下手にbookという言葉を使うと店員は“出演交渉ですか?”なんていうから気をつけた方がよい。変な具合に言葉が導入されちゃっているんだよなぁ。)
 まず最初にあのWET DESIGNのベラッジオの作品を見に行かなくてはなるまい。マーク・フラーの得意そうな顔を想像しながら見なくてはならない。エスカレーターと動く歩道と階段とエレベーターを使ってベラッジオの池の正面にまわる。まだ真ん中まで行き着かないうちに噴水が始まってしまう。斜め左後ろに工事中の建物があって、写真としては良くない構図だ。なるほど、彼がやりそうな基本的な組み合わせであるのは違いないが、実にうまく音楽とシミュレートできていた。ベッラッジオの池の噴水は何しろ夜になると一時間に4回も音楽付きの噴水が優雅に踊り出す。この噴水は元はといえばここにあった「Dunes」というホテルが経営していたゴルフ場に由来が存在するとガイド氏がいう。ゴルフ場の維持のためにはここでは大量に水が必要だ。その権利を持っていたけれど、ホテルを建て直すに際してその水利用権を確保して考えるということがきっかけだったと彼はいうのだけれど、なるほど、このホテルで注目を浴びているのは水がらみがキーになっている。中にはいると外の噴水ショウと同じWET Design社が開発した「リープ・フロッグ」が存在する。これはフロリダのオランドーにあるディズニー・ワールドのエプコットセンターに設置されたものが最初で、日本には大阪梅田の三番街の奥に存在する。果たして今でもメンテナンスを繰り返してその切れの良さを保っているのかどうか私は知らないけれど、ベラッジオのものは新しいのか、メンテが行き届いているのか、とても切れよくきっちりと設計上の要件を満たしているようだ。
 そして、第三の水からみといえばシルク・ド・ソレイユの「O(オウ)」である。惜しげなく水がステージ上を暴れまくる。これだけの訓練を課し、出演者自らの豊富な実力と、様々な分野の天才たちが寄り集まって作り出しているという点では多分どんなグループにも互することだろう。

食事 - 「O」

 どうせならベラッジオで食事をしようというのだけれど、なかなか列が伸びていないところなんてない。ヌードルショップでも良かったのだけれど、ここですら列が出来ている。そんならとコーヒーショップの列に並ぶ。15分程で席が出来る。酒を呑んで眠くなっては勿体ないし、サラダとサーモンバーガーを頼んだ。隣の席に座ったおばさんふたり組は博打の手伝いをするお盆を持ったお姉さんに頼んではKENOを買い続ける。見ているとひたすら買い続ける。私たちは頼んだものを半分ずつに分けてこれをゆっくり食べる。それでもまだ21時半くらいでショウが始まるまでまだ1時間ある。また正面玄関まで行って噴水を見ようとする。辿りつくと終わるちょっと前だった。また10分程待たなくてはならない。そろそろ劇場に行く。入口のところにもう列が出来ている。入口のところにはRichard MacDonaldのfine artが所狭しと並べてある。そこにあるテレビモニターにはシルク・ド・ソレイユのメンバーがモデルになって身体の動きを見せているところが映っている。そのメンバーがステージに現れた時には思わず「あぁ、彼だな」とつぶやいてしまった。
 ネットでこのショウの切符を買った時に「wet seat」と書かれていてexcitingなのだけれど、行ってみたら一番前は一番前だったけれど上手に偏っていた。このステージは円形をしているから幕が下りているとこっちから下手側は全く見えないのだ。幕前であたかもプロローグの様に演技されるところだけ工夫が欲しい。あとは全部、どこからどこまで、何もかも、全く文句の出ようもない。私は一番前でスタンディング・オベイションだった。こんなに感動するステージはないだろう。幕が上がってなにしろ吃驚したのは客席よりもステージ側の方がなんぼか広いのである。これを見てなんとも思わない人がいる訳がない。ステージを見ると、多くの東洋人が参加している。ストレスは相当にありそうだ。一歩間違えれば大けがをしそうだ。高い金を払っただけのことはある。
すっかり感動したまま寝てしまった。