ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

横浜松坂屋

 横浜松坂屋は野澤屋呉服店として1864年に創業して以来、144年の長きにわたり皆様にお引き立ていただきましたが、本年10月26日(日)をもちまして閉店させていただくこととなりました。

 お店のHPにこう書かれている。全然知らなかった。今朝のTBSラジオ永六輔とその新世界」の「乙女探検隊が行く〜関東新地図」でイラストレーターのヒサ・クニヒコが伊勢佐木町を案内していて知った。
 彼の話によると戦後あの建物は不二家と同じように駐留軍に接収されていて、米軍のPXになっていたそうで、その間は伊勢佐木町入り口の吉田橋を渡ったところで、細々と呉服屋を営んでいたんだそうだ。つまり、私たちが偶におやじに連れられて野澤屋に行って、当時ハイカラだったソフトクリームを食べさせてもらっていたのは全館が接収解除になってからだったのだろうか。同店のHPにある沿革によると、1953年の3月末になってようやく2階以上が接収解除になって全館解除になったのは1955年の6月だとしてある。私が小学校2年生の時になる。もっと幼かったような気もする。
 有隣堂もヒサ・クニヒコの話によるとかつては野毛にあったそうで、そこから伊勢佐木町に移ったという。私が覚えているのは(ひょっとすると覚えていると思いこんでいるのかも知れないが)木造の階段がぎしぎし鳴る三階建てかなんかの建物で、画材も扱っていた記憶があるのだけれど、ひょっとするとそれは全く違う店だったのかも知れない。
 不二家の話も出てきた。伊勢佐木町の店はやはり終戦後駐留軍に接収されていてPXだったそうだ。そしてヒサ・クニヒコの話によると二階が床屋だったのだそうだ。それであそこに米軍の将兵が大股拡げて新聞を読んでいたんだなと納得がいく。だとすると、野澤屋よりもあとまで不二家が接収されていたことになってしまうなぁ。その辺の時系列を知りたいと思うようになると、もう歳だということになるんだろうなぁ。
 こちらに接収中の不二家の写真を発見!この写真の左端に映っているのが多分野澤屋。