ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

偽善といってしまえば

 「年越し派遣村」の活動は湯浅誠によると今年が初めてなわけではなくて、昨年もそんな活動をしていたのだそうだ。私自身がそれを知らなかったのは、いかに今年の「派遣村」をマスコミがたくさん取り上げて露出度が高かったかということの表れで、それだけ今年の方が問題が表面に出てきたということでもある。これまで「労働者派遣法」の問題点について語られていたのは非常に限定的で、多くの人は「すき好んであぁいう働き方をやってんだから・・」と見向きもしなかったのではないだろうか。

 そもそも労働者派遣法(正確には「労働者派遣事業の適正な運営の確保および派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律」)が大きく変わったのは2003年だけれども、その頃から街中でまったくコミュニケーションの成立していない、とても静かな若者たちが観光バスでもないどこかの企業が持っているようなバスにしずしずと乗っていくのを見るようになり、いったい何があるんだろう、今の若い人たちの中には暗い人たちもいるもんだなぁと見送ることが増えていた記憶がある。そのあたりからどんどんこうした働き方をする人たちが若い人たちだけに限られているわけではないのだ、ということに気づき始めた。

 今しきりに話題に上る中で期間工という働き方がある。かつては季節工という働き方もあったが直接期間限定で雇われるというもので、派遣とは全く別物だ。出稼ぎする人たちの中にはこんな働き方をしている人たちもいた。

 その昔には構造不況業種といわれた業界が好調業界の現場に期間限定で労働者を派遣するという場合もあった。つまり労働力の貸し借りである。かつては現場労働だって年功序列だったから好調業界に集団転職したら良さそうなものだけれど、それでは給与が下がってしまうし、生活拠点を移すという大変にエネルギーがかかることをしなくてはならなくなってしまうわけだから、好調企業の現場に集団で単身赴任をする。あれは法的にどうだったんだろうかと首をかしげる

 その法的根拠について首をかしげるといえば、労働集約型製造業の現場では下請け企業が労働者を引き連れてその現場で作業にあたっているのがずっと昔から普通だった。尤も「下請け」という表現をはばかったのかどうか知らないけれど、「協力会社」という表現をしていた。その現場では職種によっては指揮者、管理者だけが当該企業の正社員で実際に作業をこなすのは全員「協力工」だったりする。今でいったら「請負」だけれども指揮者が「請負企業」ではなくて「発註企業」の社員だという点で、今でいえば「偽装請負」である。

 そういう意味では製造業(装置産業だったり、狩猟型産業だったりするけれども)の現場ではかつてから建前と実際は大きく違っているのが当たり前みたいになっていて、若い社員がそんな疑問をつくのは御法度だったといって良いだろう。高度経済成長の裏側には多少のイリーガルなところはその辺に転がっていて当たり前だったといっても良いかも知れない。しかし、それは一度その一員となってしまえばどうにかこうにか良い歳になるまで暮らせるという保証を企業から取り付けたようなものだったから、ある種のロイヤリティを自ずから発生させていたし、それだからこそちょっとやそこらの苦しい仕事もこなしてしまえる力となっていたのかも知れないし、そこに属していることによる「安心」が力を発揮させていたのかも知れない。なにしろ工場の周辺の呑み屋では正社員の名刺を出せばその日が最初であったとしても付けが効いたというくらいのものだ(「付け」って言葉がもう通じないかな・・?)。

 しかし、高度経済成長期を超えて日本の経済成長にかげりが見えてくると、それまで如何にして抱えておくかということに精力を使っていた「労働力」が、多少「うざく」なってきた。米国から聞こえてくる「レイ・オフ」という言葉が経営者にとってはとても羨ましくて、ちょっとやばいなと思ったらすぐさま辞めさせて生産調整に入り、調子が戻ってきたらその連中を優先的に復帰させれば許されるなんて、さすがアメリカは素晴らしい(なんでもアメリカは素晴らしかったものだ・・)と。それでも米国では最初にレイ・オフするのは中でもレベルが低い連中なわけで、調子が戻ったときに真っ先にそいつらが戻ってくるシステムは欠陥があるんだなんて語られていた。当初はとても日本の文化にはそぐわしくないやり方だと思われていたけれど、経団連を中心になってがんがん自民党を揺さぶり続けた結果、実にものの見事に大変革を実現したわけだ。徹底的な労働搾取がここまで完成するとは実に驚異だった。つまり、それだけ労働者を支える仕組みが地道にこつこつと壊されてきたということができるかも知れない。

 在独だという明らかに桜チャンネル絶賛の日本人の女性がおられるが、このタイプの方々は既存エスタブリッシュメントが大好きで、それらに抗する動きには反対される。彼女はあの木村剛のこんなコメントを紹介している。

年越し派遣村」に限定して申し上げると、日比谷公園のテントでわざわざ年越しをする必要があるのだろうか、というそもそものところから、やや不自然なものを感じます。政治活動を主目的に活動している方がいるような気がしてなりません。故郷があるのなら、帰省のための交通費を貸してあげた方が親切なのではないでしょうか。

 彼のような自分は優秀で勝ち残り組だという匂いをぷんぷんとさせる輩にはなにしろ想像力というものがないからこんな平板なことしか書けないのは仕方がないのかも知れないが、彼のようなちょっと(なにゆえかわからないけれど)名の知れた人間がこんなことをいうと、それ見たことかとそのケツに乗り出す人間がいるのが世の中だ。あんなのは偽善だと。偽善でも放っておいてみているだけよりは良いよ。

 彼らのような目線が受けるんだとしたら、こんなのはどうだろうか。
 なぜ日比谷公園霞ヶ関側で「年越し派遣村」が許可になったのか。そしてなにゆえ厚労省の講堂が利用に供されたのか。
 その理由は社会の関心を、あの「社会保険庁」のもう救いようのないずぶずぶの底なし沼状況から国民やマスコミの視線をそらすことがその最大の目的だったのである。その結果、各地方自治体やその他の機関や、市民が動き出すことによって大きく表面的には好転した。そしてあまり年金が追求されなくなった・・・・というのだけれど・・・。
 ちょっと無理があるだろうか。