ほぼ足りてまだ欲 その先

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知りませんでした、またひとつ

 昨日は天皇家の金婚式の話題で持ちきりだったかの如きテレビだった。50年前といえばテレビは白黒だったなぁ。あのパレードはオンタイムで見たのかどうか記憶がない。なにしろあの画面はその後も時代を表すビッグ・イベントとしてなん百回も放映されているから。
 あの馬車に石を投げつけた男がいたことは多分ニュースで流されたのだろう、私の記憶にも残っているが、その後にパレードがテレビで流されるときに触れられることは希有だったような気がする。
 今回の記者会見の時に鷹司家の話が出て、恥ずかしながら私はそれがなにを意味するのかわからなかった。ウィッキペディアにアクセスして鷹司家とは今上天皇のお姉さんの嫁ぎ先だと知った。そして今上天皇は7人兄弟姉妹なのだと知り、鷹司家に嫁いだお姉さんが未亡人になった理由も知った。死んだオヤジたちが話していたことをきちんと覚えていれば、きちんと知っていればこの歳になるまでこんな事も知らなかったということはなかっただろう。オヤジは岡山の出身だったから池田家に嫁いだ厚子さんについて話していたのがぼんやりと残っている。
 そんな程度なのは私が育った環境では天皇家に関しての興味なんて全く持たなかったからだろう。実際の話、庶民の生活からいったらそれどころではなかったといって良い。
 それでも、前にも書いたけれど、まだ皇太子だった今上天皇が英国のエリザベス(二世)女王の戴冠式に参列するのを主目的に渡欧するために皇居から横浜港まで車で通るのを、青木橋のそばで割り箸に画用紙に書いた日の丸をのり付けした小さな手作りの旗を振っていたのを覚えている。ながぁ〜いこと待って、車列はあっという間に通り過ぎていった。私は多分4-5歳だったのではないかと思う。当時の私は一体何だったのか殆どわかっていなかったはずで、それから以降私は電車の中から青木橋を見る度に、その時のことを思いだした。
 あの時期にどんな船で行ったのかと思っていたら、ネットはすごい。すぐにAPL(=American President Line)のPresident Wilsonだと知れる。確か、後年私の先輩がこの船会社の船で渡米したんだと聞いたことがある。