ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

どちらが職務に忠実か

 東京都下水道局が作業服につけるワッペンが規定違反だったので、作り直して、この費用が3400万円に達したと報じられた。これに対して元不良小説作家が「くだらねえ完全主義だ。骨身にしみて反省させる」と憤慨して新たに作り直しを決めた職員も処分する意向を示したと(毎日新聞 2009年4月11日 東京夕刊)報じられている。
 そもそもなんでそのワッペンが規定違反だったかというと、

 昨年11月、局内からシンボルマークの取り扱いを決めた内規「基本デザインマニュアル」に触れるとの指摘があった。内規には「(イチョウのシンボルマーク以外の)他の要素を加えない」との規定があり、同局も波線がこれにあたると判断。完成していた2万枚のワッペンを廃棄し、新たに3400万円をかけてワッペンを作り直した。(同上)

 ということだ。

 多くのこうした各種マークや表記方法を決めるとき、どんな媒体にそれを表現する時でも同じイメージを与えられるように、様々な場合を前提にして使い方をマニュアルにして決める。そのマニュアルはその時点で考えられる限りのあらゆる場合を想定する。ここに大変に手間が掛かる。
 多分殆どの大きな企業にはそのマークの取り扱いについて、マニュアルが存在する。それを規定したときにマークになにか他の要素を絡ませるな、とするのが普通だ。そうでないと、例えば東京都をシンボライズする銀杏のマークに例えばブルーリボンを絡ませたマークを造ってしまって「東京都は北朝鮮の拉致に反対しています」、というキャンペーン・マークを造ってしまうということも起こりえる。すると東京都の銀杏マークを変形させても良いんだという解釈が成り立ったりする。そうした混乱を招かないようにということを基本マニュアルでは規定する。
 しかし、こうしたマニュアルを設定するときにはどこの部署がこれを考えたとしてもそれに対して即座に諾否を判定してくれるセクションが必要である。どこに聴いたらすぐ判断してくれるのか、という内部のガイダンスがはかられていなければならない。
 今回の場合、なにが原因かといえば、私にいわせればこのワッペンを企画したグラフィック・デザイナーの未熟さと発注者の認識不足である。決まり事を忠実に実行するという役人の基本的原則からいうと、これが東京都のマーク使用の規定を外れていると指摘した担当者は役人の職務にあくまでも忠実だったというしかない。彼を処分対象にするんだったら、彼はもう東京都という地方自治法に基づいた組織を信じる術を持たないことになる。
 このワッペンを企画したグラフィック・デザイナーは「東京都にはマーク規定があると思うがそれを見せてもらえないか」と要求するべきであった。そしてもし、東京都の発注担当者がそれを「そんなのどうでも良いんだよ」といったとすると全責任は彼にある。
 折角造ったものを作り直して3400万円を無駄にしたというのは事実としてあるが、「そんなのくだらねぇ」というのは全くもって無責任そのものである。
 この場合、本来的には「マーク東京都下水道局」を造り、それになにかを付け加えたかったとしたら、「他のサインを組み合わせるときの規定」をマニュアルから探し出さなくてはならないし、それがなかったら、マニュアル管理担当部署はそれを造って提示しなくてはならないのだ。
 この話はどうもなんか割り切れないと思っていたので、ここで自分用に整理してみた。