ほぼ足りてまだ欲 その先

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新入社員

 テレビをつけたらそこら中で草なぎ剛の話ばかりで、もういいよって思っていた。
 すると「初月給ですが・・」なんていっている。へぇ、今時は最初の月から給料が出るんだ、良いなぁと思ったのだ。というのは私が就職した会社は働いた月の月末締め翌月22日支払いが原則だったので、4月は給料が出なかった。初めて給料が出たのが5月22日だった。だからそれまでの50日ほど収入がなかった。前半は自宅から研修に通ったので金はかからなかった。4月末に赴任先が発表されて引っ越しになったものだから、支度金が出た。それで息を継いだ。5月22日は土曜日だった。当時はうちの会社は第3土曜日だけがお休みになったばかりだったので、第4土曜日のこの日は出勤日だったはずで、この日に給料が出たんじゃないかと思うけれど、全く覚えていない。当時はもちろん現金が茶封筒に入って渡された。
 その給料の中から親に何か買おうかも思ったけれど、何もしないでいたらおやじが「こんな何もできない奴にこんな金をもらって会社に申し訳ない」といって1/4をよこせといった。理屈に合わないけれど家に置いてきた記憶がある。しかし、それが何時だったのかも記憶にない。
 二食付きの独身寮にいたからあんまり金がかかるわけでもないのだけれど、給料日の一週間前になると千円札一枚しかなくて、どこにも出掛けなかった。作業服を着て会社に行き、帰ってきたら即パジャマに着替えてうろうろしていた。お洒落もへったくれもない。とにかくどんぶり飯をおかわりして腹を黙らせるという日々だった。愉しみといえば寮の傍の八百屋の店先の蜜柑を買ってくるくらいだった。
 それくらいだからテレビもなければラジカセもなく、もちろん車だって持ってない。フロアーに一台あるテレビを見て、先輩の部屋でコップ酒を呑むくらいだ。それでも当時はとても恵まれた環境だった。今から考えてみれば一体何が生き甲斐だったのかと思うけれど、なんだか前途洋々たる気分になっていたのが不思議だ。なんだか目の前に永遠に続くような時間が広がっている気分がしていた。たった半世紀かそこらの時間に過ぎないというのに。それは一体何だったんだろうか。
 ひとつには忙しい仕事を片付ける日々だったのに、その仕事が次から次にそれまで見たこともないことが起きる、ということにもあったかも知れない。大した能力もないのに、世の中の仕組みに自分が少しずつ適応していくのが成長の証のような気がしていたのかも知れない。今から考えると大したことをマスターしたわけでもないのに。
 あの頃に、結局最後の最後は人間が地道にひとつひとつ拾っていかないと仕事は片付かないのだということに気づいたのも確かだ。もうあの頃のことは忘れていたはずなのに、気がついたらあの頃気がついたことだけでここまで突っ走ってきたのかも知れない。ま、最近はゆるゆる歩いているんだけれどね。