ほぼ足りてまだ欲 その先

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日本のキリスト教関連行事

 私が暮らしているこの国のキリスト教徒は全人口の僅か1%だといわれている。わずか百万人だというのだ。それなのにクリスマスにしても近頃盛り場がそうなるハロウィーンにしても、とても盛んだし、気をつけてみていると「ゴスペル」を音楽形態のひとつの分野だと思っているらしい様子も窺える。
 クリスマスを始めて日本で祝ったのはいつで、誰なんだ、という疑問は、このネット社会では直ちに解決がついてしまう。こちらの「日本クリスマス博物館」なるサイトによれば、多分1549年に例のフランシスコ・ザビエルが祝ったに違いないからこれが起源だろうという説だ。ま、これは妥当な考えではないかと思う。だとすると当然イースターも祝われたことだろう。*1
 今の日本でのクリスマスの馬鹿騒ぎに繋がるであろうと思われるのは、1900年前後に、横浜で創業された明治屋が銀座に進出してから店をクリスマス飾りにした、と伝えられているところにあるんじゃないだろうか。こちらのサイトによれば、1931年には三越がクリスマス飾りをしたというし、このあたりと前後して日本から欧米のキリスト教市場に飾り付けのオーナメントの輸出が始まっていたようである。
 「日本クリスマス博物館」なるサイトによると不二家がクリスマス・ケーキの原型を売り出したのは1910年だというし、帝国ホテルが一般の日本人むけのクリスマス・パーティーを開いたのは1919年なんだというのだから、クリスマス商戦の開始はかなり早いことがわかる。1932年12月16日の白木屋の火事は飾り付けてあったおもちゃ売り場のクリスマス・ツリーが原因だとは思いもよらなかった。
 しかし、何が何でもやっぱりこれほどの日本全土をあげてのクリスマス大騒ぎになったのは戦後のことに違いない。
 戦後生まれの私が気がついたのは占領が終わってからのことだろうと思うけれど、クリスマスというのはバターケーキで、まるで仁丹のような銀色のつぶつぶがのっかっていたケーキとキラキラした紙でできている三角帽、そしてクラッカーだろう。明らかに親父が酔っぱらって持って帰ってきたものだったはずだ。その頃から、理由が全くわからないのだけれど、私たち姉弟三人は毎週近くの教会の「日曜学校」に通い出していた。毎回5円の献金をビロードの黒い袋に入れ、綺麗な絵が描かれたカードをもらって帰った。小学校にはいるくらいだったのか、その年のクリスマスには三人の博士が星を目指していく寸劇の役をもらいながら練習をさぼってみんなに迷惑をかけた。あれから今でも子ども達がそうしたセリフをみんなの前でいうときに胸が痛い。だからうちでは毎年、ツリーを飾った。そのためのモミの木は庭に植えたらとても大きくなった。
 ハロウィーンなんてものはついこの前までは日本では誰ひとりそんなものを振り向きもしていない。ホンのこの数年のことではないだろうか。私たちが知っていたのはその頃になるとなぜかアメリカからのニュースとしてお化けのように大きく育ったカボチャの映像が、古くは映画館の映画ニュースで知らされ、近くはテレビでちょっとした小ネタとして伝えられる、という程度のものだった。
 イースターこそキリスト教徒にとっては最大の行事だと思うけれど、日本では殆どの人が興味を持っていない。だからたまたまキリスト教国に旅行にいってイースターに出会ってしまって、店が一斉に閉まってしまって大いに慌てるという状況に遭遇する。しかも多くの人がこの休みの期間に動くものだから混雑に巻き込まれたりする。
 「ゴスペル」という言葉がこの国でここまで一般化してきたのは一体なんでだろうか。ウーピィー・ゴールドバーグ主演のあの一連の映画が大きな影響をもたらしたのだろうか。それともあの亀淵由香がうまいこと仕掛けたのだろうか。日本では「ゴスペル」というといわゆるブラック・ゴスペルを意味しているように今や捉えられているような気がする。iTunesのラジオで「Religious」を開けてみると良くわかる。中にはBlue Glassスタイルだったり、ロックになっていたり、典型的なカントリースタイルだったりしているけれど、中身はプロテスタントが主を讃える唄であればなんでもゴスペルといっている様な気がする。プロテスタントの従来の賛美歌も無理矢理いってしまえばゴスペルの伝統的スタイルということになるのだろうか。
 八百万の神を讃えるアミニズムの文化をその始まりとするこの国の文化であれば一神教だろうと八百万の神のうちのひとつとして認識してしまうという「心の広さ」を表しているんだ、といういい方もあるけれど(私のすぐ傍にもいる)、それは一神教徒から見たらとんでもない話だということになるわけだ。そりゃ信じてもいない人たちから「貴方は私の光!指し示してくださった光!」なんて唄われても困るんだろうなぁ。私は失礼だから、神社仏閣で手を合わせることはしないけれど、脱帽はする。

*1:日本ではなぜか、このイースターだけは注目を浴びない。商戦に関連する習慣が見いだせないからだろうか。卵やさんが儲かるだけ?あるいはパン屋だけ?