ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

新「しらせ」一般公開

 30日・31日の二日間にわたって防衛省横須賀基地に係留されている南極観測支援艦「しらせ」を一般公開した。東京駅から大変に久しぶりに横須賀線久里浜行きに乗る。立っている人がちょっといるな、という程度の車内だった。私も眠ってしまって途中がどうだったのかわからないけれど、横浜駅北鎌倉駅鎌倉駅を通り過ぎるとガラガラになってしまった。横須賀駅で降りると結構な人たちが海上自衛隊横須賀総監部に向かって歩いている。人の流れは私が帰るときも切れることがない。
 デジタル一眼レフにズームをつけている人が多いのは気がつくけれど、小さい子どもを連れた親子三代や親子連れも目につく。最も少ないのは中高生だろうか。滅多に見つからない。一番目立つのは元自衛官だったのではないかと思えるような人たちではないだろうか。そしていわゆる戦艦ファンというひとたちがいる。皆さんループタイを締めていたり、正面に様々な刺繍が施されたキャップを誇らしげに被っているおじさんというのはどうも共通した匂いがする。秋葉原で見られるようないわゆるオタクっぽい人たちもいる。20代前半と覚しき軍事ファンが列中の私のすぐ傍にいて話していることを聴くともなしに聴いているととても20代とは思えない話題だ。
 列の後尾についてから結局艦内に入るタラップをあがるまでに40分ほどズルズルと進む。しらせが接岸している外側にはイージスシステム搭載のミサイル護衛艦「こんごう」型護衛艦の2番艦「きりしま」、「むらさめ」型護衛艦5番艦「いなづま」、「あさぎり」型護衛艦8番艦「うみぎり」がしらせと同じように入り船で接舷。ジェッティの反対側には「むらさめ」型護衛艦が三隻出船で接舷している。奥のジェッティにははるな型護衛艦の2番艦「ひえい」、あと二隻がもやってあるその向こうにひっそりと前「しらせ」が佇んでいる。行く先のない、あとはもうスクラップされる運命が待っているだけである。
 初代南極観測船「宗谷」は元海上保安庁の船であったけれど今は有明船の科学館の前に係留公開されているけれど、もうボロボロ。二代目から海上自衛艦で、「ふじ」は名古屋に係留公開。そして三代目がこのひっそりと一番端っこに係留されている「しらせ」である。前「しらせ」が竣工したのは1983年10月のことで、報道機関に公開されたのが雨の日だったことだけはしっかりと覚えている。
 死んだ私の父は「宗谷」を灯台補給船から南極観測船に改造したときにその工場に従事していたものだから小学校低学年の時から私は南極に行く船をずっと見ながら育った。初めて「宗谷」が南極から帰ってきたときにわが家に南極の石というものがやって来た。今でも残っている。造船所に働き出してから、「ふじ」の初代艦長であった方と一緒に仕事をやらせていただいたので、当時の8mmフィルムを見せていただいた記憶もある。南極点にまで行かれて、その周りをぐるっと回って、世界を一周したといっている場面を見たのがそのフィルムであったという話は既に紹介した。
 この一般公開では居住区をぐるぐるあがってホイル・ハウスへ行き、今度は降りながら船尾のヘリ甲板に行く。ヘリ格納庫には各種のパネルが展示してあって、中には「南極の氷」もあって、自衛官が「掌をあてていると掌にプチプチと泡が弾けるのがわかりますよ」と説明していた。これで水割りを呑むと美味しいのだ。
 居住区内の廊下や階段が普通の貨物船に比べると一段と幅が広いのに驚く。上部構造の両脇にはコンテナのラックがあって、何も積んでいない今はただ鉄骨が建っているという雰囲気で、一体何だろうかと思わせる。ホイル・ハウスにあがってみて私にとっての驚きは昔に比べると航海機器、あるいはモニタリング機器が数段発達していて船首だろうが、エンジンルームだろうが監視カメラが設置してあってホイル・ハウスでモニタリングできるのも考えてみれば全然大したわけではなくて、かつてからそれくらいのことを実施すれば良かったのに、そんなものは船には必要ないという固定観念に縛られていたような気がする。
 マッコウクジラのようなずんぐりむっくりした船首にはぽつぽつと穴が空いていて、何かと思うとその穴から海水を氷海面に散布して砕氷に資するのだそうで、私のような素人から考えるとそんなもので本当に役に立つのだろうかと不思議に思う。
 これまでの南極観測支援艦が竣工就航すると必ず一年間ほどの慣熟訓練を重ね、それから南極に出掛けたものだったが、今度の新「しらせ」は今年の11月(通常だったら14日)には日本を出発する予定だという。なんで今までのように慣熟訓練を一年間こなさないのかとホイル・ハウスにおられた方にお伺いすると「なにしろ時間がありません」という回答。旧「しらせ」の老朽化に伴い新「しらせ」への切り替えに際して予算化が永田町の意向で大きく遅れた結果、2008年度の観測隊支援はオーストラリアの砕氷艦をチャーターして行われ、今年は新「しらせ」ですぐに行うしかないという状況下にある。長期計画の中で動いていたものが政治の都合で変更を余儀なくされるというひとつの例である。
 横須賀という街は駅舎に錨のマークが書かれているように、今でも軍港で、向こうの方には潜水艦も、そして例の超大型ヘリ空母「ひゅうが」も見えていて、ここに一発ミサイルを撃ち込まれたらあっという間に国民の大財産が吹っ飛んでしまうというわけだ。それにしてもこの光景を見ていたら日本の憲法というのはまったく意味を持っていないということに気がつく。みんなして平気で憲法なんてしらないふり。艦内の角々に真っ白い制服を着た自衛官が立っていて「こんにちわっ!」と声をかけている。子どもは単純に憧れるかも知れない。隣のイージス艦を指してこれっていくら位するの?と訊ねる老人もいる。彼は一体何と答えたのだろう。下船してから厚生センターで一休みするが、どこからかしらないがカレーの匂いがする。途端に空腹を覚え、二階に上がると食堂で、カレーだけを営業している。500円のカレーを食す。
 疲れ果てて横須賀駅から成田空港行きに乗る。逗子で湘南ライナーの宇都宮行きが先に出るというので乗り換える。大船でいったん下車。大船軒売店で鰺の押し寿司をひと折り購入。東海道線で都心に向かう。ひと寝入りして、ふと気がつくと品川あたりで、窓にぽつぽつと雨滴が当たっているのを見る。新橋で気がつくと外はザンザン降りである。横須賀の真夏のような天気からは想像のつかないにわか雨だ。
 地元に帰ってきてみるとやはり大雨で、バザーの会場にいってみるとマーキーをそのままに既に撤収していた。なんにも手伝わないまま、打ち上げに紛れ込み、最後は三次会まで付き合い、その中に同じ集合住宅に暮らす人を知る。世の中は油断も隙もないのである。