最近気に入りのインターネットラジオ、OTTAVAを聴いていたらmoderatoのキャスターの清水清(これはまさか本名じゃないだろうなぁ)が恵比寿の東京写真美術館の話をした。「世界報道写真展2009 →8月9日(日)」と「プレス・カメラマン・ストーリー →7月5日(日)」の話だった。これは見に行っても良いなと興味が湧く。
その際に彼が触れていたのは、日本人で最初にピューリッァー賞を1961年に受賞した毎日新聞社の長尾靖のことだ。二人目は1966年の沢田教一であり、三人目は1968年の酒井淑夫で後の二人は両名とも当時の所属はUPIである。これ以降はいないのだろうか。
長尾が受賞した写真というのが日比谷公会堂で1960年10月12日に開かれた東京選挙管理委員会等が主催、NHKが共催した「3党党首立会演説会」で、民社党の西尾末広に続いて登壇した社会党の浅沼稲次郎を襲った山口二矢(やまぐちおとや)が銃剣をかまえ今まさに刺そうとしているところの写真だ。ものの本によると浅沼稲次郎は二度刺されており、一度目の左胸への刺し傷が深かったとされているが、この写真はひょっとして二度目を刺そうとするところか。
山口は当時弱冠17歳であり、彼は学生服の上にコートを羽織ったままである。山口は少年鑑別所で11月2日に自殺している。
NHKはこの瞬間をビデオテープに残しているのだそうで、この時期にビデオとは驚く。
ところでその長尾だが清水の話だとピューリッツァー賞を受賞した直後に毎日新聞を辞めてフリーになったのだそうだが、どうもそれが彼の話っぷりだと居づらくなって辞めたという雰囲気に取れる。生涯独身だった長尾は今年の5月2日に自宅であったアパートで単独死しているところを友人に発見されたという。満78歳だったという。一体、どのような人生を送ったというのだろうか。誰か書くだろうか。その後の長尾靖として沢木耕太郎が書いても良いのかも知れないけれど。