ほぼ足りてまだ欲 その先

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カルテル体質

 朝日新聞が今回の建材用の亜鉛めっき鋼板価格カルテルでの東京地裁の判決を引いて「業界の体質だ」と指摘している。
 今回の有罪判決を受けたのは3社6人。日鉄住金鋼板日新製鋼淀川製鋼所の三社である。JFE鋼板は違反を自主申告したため起訴や課徴金の対象から除外。これで鉄鋼業界全体を語る事件になっているのかというと、この建材亜鉛メッキ鋼板は高炉・電炉メーカーの下流販売企業だからよくわからない。日鉄住金鋼板の出資者は名前からもわかるように新日鐵住友金属日新製鋼は最新データーかどうかわからないけれど、新日鐵が9.17%の株式を保有する主要株主。
 昨年の11月にこの事件が発覚しているが当時日本経済新聞も「目に余るカルテル、鉄鋼業界は猛省を」なる社説を掲げているくらいである。この事件は小口顧客向けの亜鉛めっき鋼板を約10%値上げすることを決めて実行したというもの。
 その記事によると

  • ステンレス鋼板の価格カルテルで05年春に総額約67億円の課徴金納付命令
  • 日本道路公団などの鋼鉄製の橋の工事をめぐる談合では鉄鋼会社を含む44社が同129億円の課徴金納付命令
  • 鋼鉄製ガス供給管の敷設工事の談合で2007年末、4社が総額7億円強
  • 土木工事用の鋼材のカルテルでは2008年6月に新日鉄JFEスチールなど3社が約20億円の課徴金納付命令

 と、まぁこんな程度の例が挙げられている。
 実際には各製品の販売現場だけがそんなことをやっているのかといったらそんなことはなくて実は多くの分野で新日鐵を中心にした「大人の協議」が多くの分野で繰り広げられているといっても良い業界で、なんでも新日鐵がおおむねリーディング・カンパニーである。
 鉄鉱石から石炭から原料の殆どが輸入であるけれど、その開発でも新日鐵は他社を抜け駆けすることは始終あるけれど、他社が新日鐵を抜け駆けすることは殆どないし、値段交渉でも概ね新日鐵が先行して、ガイド・プライスを設定する役割を果たしてきた。要するにこの業界はみんな新日鐵を見つめているのである。まぁ、無責任にいわせていただくと官営製鉄所の時代からずっと変わっちゃいないのである。あの戦争でむちゃくちゃになって鍋釜作っていた時代にそんなことは全部なくなっちまったのかと思っていたら全然変わっていない。こちらも明治革命以降、何も起こっちゃいない。
 業界の集まりや忘年会のような宴会があっても必ず新日鐵が真ん中に座り、高炉各社、その周りに電炉、その周りに高炉の子会社、その周りに電炉の子会社といった感じなんじゃないだろうか。
 なにしろ鉄鋼連盟は今でも、かつての経団連も必ず新日鐵が中心。民主党を中心とした連立政権の誕生によって経済諮問会議のメンバーをそそくさと辞任した四人の民間人の中に新日鐵の三村明夫がいるように鉄鋼業界を代表し、鉄鋼業界を率いているのは紛れもなく新日鐵である。だから、今度のカルテルを自己申告したJFE鋼板は一体何を考えてこういう事態を明るみに放り出したのか、聴いてみたい。どうしてマスコミはここをついてくれないのだろうか。どこかでこのカルテルを仕切っている企業に反感を持ったということだろうか。それがどこなのか知らないけれど。折角仕組んだカルテルを裏切った奴がいたからだったかなぁ。それだったら裏切りには裏切りでもって対抗ということか。やくざだな、まるで。
 だからそんな中、二代目社長の池谷正成が高炉メーカーに挑戦してどんどんそのステイタスを挙げていった東京製鐵は独立メーカーとして業界にとっての目の上のたんこぶだった。今はどうなっているんだろうか。
 素材産業というのはその製品が殆ど規格材であり、見た目では区別がつかないし、勢い競争要素が価格だけになってしまうということがこうした体質を作り出すということだろう。カメラや家電製品、自動車を買うんじゃないんだから評価ポイントはそんなにない。勢い価格競争に陥りやすく、自らの首を絞めるということになる。各社の工場の写真を見たって、マークがついていなかったらどこの会社かわからないくらいだ。
 この業界のモチベーションというのは一体どこにあるのだろうか。どこよりもコスト・パフォーマンスの高い製品を一瞬でも先に市場に出して、先行利益を取ってしまうということか。それとも安定した供給力を持つことか。そうだとしたら利益が確保できないことにはやっていけない。そこが後発が追いつかない大きな理由でもあるし、先行メーカーが他を圧することのできるゆえんか。
 そんなにメーカーはいらないんじゃないかということにもなるかも知れないが、しかし、寡占状態になってしまったら価格はつり上げられてもおかしくないということになる。
 需要家としてはこうした公取委員会の活動による制限をかけられながら、高価安定をぶちこわしながら安定供給が諮られるというのが一番良いのだろうか。