ほぼ足りてまだ欲 その先

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ノーベル平和賞

 今年度のノーベル平和賞バラク・オバマに贈られることになったのは、ノーベル委員会が彼の理念を後押しするという意味でとても大きな意向を表した。どうせそんなことは大国の力関係の中で実現なんてできっこないし、現実的になんだかんだと屁理屈をつけて核兵器そのものを持ったり、そこに繋がるプロセスの施設を作り続ける国が出てきていて、ひょっとするとこうした動きがそろそろ抑えが効かなくなるかも知れないという危惧を持ちつつある状況の中で、ノーベル委員会は思い切った決断をしたものと私は高く評価をしたい。
 もちろん誰が見る目にも明らかなように、バラク・オバマが提唱している「核廃絶」が実現するのは遙か彼方にようやく見えているのか、あるいは全く霧の中か、という状況である。米国の共和党はまたそれを揶揄し、茶化し、雇用創出もままならないのにと負け犬が遠吠えをしている。
 私は「何を青二才のようなことを」といいたがるわが国の負け犬たちにも良く足下を見つめて見て欲しいと思う。彼等はここのところ数年間に限ってでも、いわゆる「高邁なる」思想を国民に示して政治を仕切ってきただろうかということだ。口先の言い回しだけでその場を切り抜けることが政治のフロントだと思ってきていたのではなかったか。
 本当に実現できるかどうかわからない、それはひとりひとりの地球上に暮らす人間にかかっているけれど、それでも少しでも暮らしにくくなる可能性をつぶしていこうじゃないか、という姿勢を私も見習わなくてはならないなぁという思いを新たにするニュースだった。
 ただ、ノーベル委員会が佐藤栄作に授与した平和賞は如何なものだったろうか。今度岡田克也があの密約の存在を明らかにしたらノーベル委員会はどうするのだろうか。佐藤栄作綾小路きみまろにこういう時はどうしたらよいのか、聞きに行ったらいい。彼はネタの盗作をいわれた時に真っ正直に認めて素直に世間にわびを入れた。あ、でも、佐藤栄作はもう考えを変えられる状態にいないか・・・。

 「ノーベル賞の歴史を見ると、受賞が特別な業績にだけでなく、大義に弾みをつける手段として用いられたこともある。だから、この受賞を行動を呼び掛けるものとして受け入れる。すべての国に21世紀の共通する挑戦に直面することを求めるものだ」バラク・オバマの声明から。(毎日新聞 2009年10月10日 1時45分)