ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

オーラルヒストリーもしくは聞き書き

 いつもの木曜日の保阪正康の話を聞きに新宿に行く。本当はあの台風の日に予定されていたものが今日にずれ込んだ。保阪は数々の著作をのべで1000回にものぼるインタビューで多くの証言を得て、記憶を記録にしてきた実績を持っている。彼の話を聞いているとその洞察力の深さと真摯な取り組みに共鳴するものを覚える。彼がオーラルヒストリーという言葉の今の使われ方に一抹のニュアンスの違いを抱えている様子もうかがえる。
 これまで私は例えば「東京裁判」へのアプローチという点で研究者と彼との相違点がどこにあるのかを解明できなくてもやもやしたものを常に持ち続けてきた。保阪は元はといえば朝日ソノラマの編集者から始まっている。彼がいうには研究者の取り組みというのは研究テーマに即して、そのために資料・文献の調査、フィールド・ワーク、インタビューをしていくのだけれど、彼等ジャーナリスト出身者はその資料、文献、事象、事情、状況、登場人物等そのものに興味を持ち常に世俗性を持っていることが根底に必要だという。
 彼は政策研究大学院のオーラルヒストリーにも言及していて、証言の国有化と秩序化による弊害には気をつけなくてはならないのだと説明したけれど、これがどこまで理解されたのか、という点ではちょっと疑問が残る。後藤田正晴が政策研究大学院からのインタビューを前にして彼に語ったことを考えると、あれでは本質的な記録とはならないだろうという。
 ゆったりとした居心地の良い応接間のようなところで、美味しいコーヒーを前にして、というような状況の中で語られることには色がつく可能性が高くなってしまうということのようだ。では、どのように取り組むのが正解なのか、を語って貰いたい。時間がなくて質問は来週ということになったので、できればお伺いしてみたい。