ほぼ足りてまだ欲 その先

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日本人だってわからない

 昨日の朝日新聞に、昨年の夏からインドネシアからやってきた看護・介護現場での研修生の実情を報告する記事があった。100カ所の病院、介護施設にアンケートを送付して回収できたのは86カ所。看護師候補者は上限3年、介護福祉士候補者は同4年の滞在期間内に国家試験を受験。合格すれば引き続き滞在できるが、不合格だと帰国しなくてはならない。
 試験に際して最も多かった意見は「日本語の振り仮名をつける」で32施設が答え、「母国語や英語での選択肢を与える」も28施設が指摘している。
 私は看護師の世界はよく知らないけれど、介護の世界で使われる用語は殆ど看護の世界でも使われていると思う。この記事でも紹介しているのだけれど、一般的には使われない漢字が結構出てくることは事実で、その辺りは日本人でも覚えられない。この記事の中で引用されているのは「褥瘡(じょくそう)」「仰臥位(ぎょうがい)」なんてところだけれども、全く漢字環境の中にいなかった人たちにとってはそのバリアーは決して低くはないのは想像にあまりある。
 人に接する仕事であるし、担当者間の引き継ぎ打ち合わせのこと、あるいは日誌上での引き継ぎのことなんかを考えるとその辺りがわかることは必要だというのはわかるけれど、日本人であったら介護士の資格を持っていなくても介護の仕事に就くことはできるわけで、それを考えると彼等には必要以上にバリアー高くしているといっても良いかもしれない。
 介護の現場に限っていっているのだけれど、資格を取ったからといって労働対価に大きな差があるのかといったら必ずしもそうはいえない、つまり社会的に置かれている立場に大きな違いが明確にならないというのが現状で、そこが看護師の世界と違っている。
 彼等の今後の状況によって、インドネシア、あるいはその後に範囲を拡げていったとしても日本にそうした人たちが来てくれる可能性を否定することになるだろう。日本はこの分野に外国人を一切入れない、というのであればそれはそれでやり方かもしれないが、早晩大変な人手不足が起きることは間違いがない。
 現在の介護保険の制度を大きく変えていかないで姑息な手段で少しずついじるのではもう間に合わない。福祉構造改革をしてからもう既に丸10年が経ってしまう。これまでの介護保険だけでは放り出されてしまう人はいくらでも出てくる。累進化税制度で応能負担システムによる社会保障システムを作っていかないと成り立たなくなる。もう新自由主義では人を放り出すことにしかならない。
 そして、外国の人たちをどんどん介護、看護の世界に今のままで導入したのでは、「研修・実習ビザ」で日本の一次産業や加工工業がなりっているのと同じことが出現してしまう。こうした状況の中では同一労働同一賃金を確立して行かなくてはならない。それが嫌だという選択をこの国の国民がするのであれば、あとは鎖国だろうか。あるいは斬り捨てられる人たちを見ながら暮らすという差別主義的社会を取るということになるのだろうか。
 日本の伝統を理解できるのは日本人だけなんだなんて主張して、現実状況を把握できない人たちはいつまでも鎖国していくしかないわけで、自らの行き着く先を想像することもできないのなら、それはそれで致し方がないだろうけれど、そうでない人たちの行く末まで制限する権利はないといっても良いだろう。