ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

用心

 もうかれこれ40年近く前の話。当時の一戸建てのうちなんかだとギーバッタン!と閉まる木の扉のロックなんて物は至極いい加減なもので、木でできた閂(かんぬき)を上下二つ作って外からは一つを横にスライドして開けるんだけれど、もうひとつは外から見えなくてうちからのロックにしていた。トイレなんかの扉もそんなもんだ。
 私の友人のうちの裏口のその簡単なロック機構が壊れたらしい。すぐに直せなかった。するとそのうちのあるじたるオヤジが布団を裏口そばまでもっていって、自分の足首にひもを結びつけ、その片っ方を扉に結びつけて、もし万が一外から誰かが扉を開けたらすぐにわかるという態勢を取って寝たという。
 そんなのはその紐をほどいてしまえばそれまでだし、私たちは「なんて臆病なんだ」と笑った。
 ところが今やそんな人を臆病と笑ってはいられない。いつどこでどんなことが起こるかわからない。衆人環視のラッシュアワー中の新宿駅の構内で49歳の、自分でも娘を持つ男が自分の娘と同年齢の女子高校生を地下の公衆トイレに連れて行って暴行しちゃうなんてことが平気で起きる時代なのだ。
 すべからくなんでもアメリカで起きている状態が、伝播にかかる年数にばらつきがあっても、必ずやってくるのがこの日本という国であり、社会であることには異論はないだろう。
 かつて良く治安の悪いアメリカを説明するのに、鍵をいくつもつけていて、開けられちゃう可能性は減っても、自分でそれを開けるのに手間取っているうちに暴漢に襲われちゃうんだよ、といって笑いものにしていた覚えがあるけれど、もうここでもそれは笑えなくなりつつある。
 20-30年ぐらい前からモラルはどうでも良いことになりつつあった。それまで高校生でたばこを吸っている奴はいくらもいたけれど、それは大ぴらに天下の公道でではなかった。隠れていた。ところがその頃から平気でやるようになった。誰も何もいわなくなったし、そうした「社会の目」という物が機能しなくなった。
 どんなに破廉恥な格好をしていても(そもそももう破廉恥という言葉自体が意味をなさない)誰も何もいわなくなった。かつての植草甚一がしていたような格好を今は誰もおかしいといわなくなった。彼が今生きていたら、別段脚光を浴びなかったかもしれない。あの頃だからこそ、あの年齢で(といっても今の私と大差ないわけだけれど)あの格好をして、古本を抱えて神保町のコーヒー店でその本を片っ端からひっくり返していたらみんな興味を持ったんじゃないだろうか。
 今じゃ、「なんてぇ格好をしているんだ、あいつは!?」と云おうもんなら「そんなことを云うなよ、人は格好じゃわからないんだから」という反応が返ってくるし、確かにそれも一理あったりする。
 「オレオレ詐欺」やら「婚活詐欺」やらの話を聞いているともう油断も隙もなくてちょっとした個人情報を入手したらそこから売り込みをかけるぐらいは可愛いもんで(今のところ間に合ってます!」といってしまえば良いんだから)、20歳になる子どもがいるとわかると「友達なんですけれど、いますか?」と云って本人を電話に出させてそこで保護者の承諾のいらない通販攻勢をかけてきて、とんでもない物を高い値段で売りつけるなんてこともしていた(もう携帯電話の世界になっちゃったからそんな電話がかかってきたら一番怪しい)。
 なんでこんなに電話ごときで引っかかっちゃうんだろうと思うけれど、ぼぉ〜っと暮らしていたら引っかかっちゃう。ぼ〜っとしていなくたって引っかかっちゃう。私だって、わからないだろう。
 だったら余計に用心しなくちゃならないといわれても、どう用心して良いのかわからない。みんな孤立して生活しているから発想としてすぐに「どうしよう?」と相談できる対象がいない。
 やろうと思えばゴミを朝一でいってかっさらってきたら、きっと中から個人情報の一つや二つ、すぐに見つけられるだろう。そこから何かを仕掛けられてしまうかもしれない。
 もうそこまで用心しなくちゃならない時代が来ているのは確実だと思う。それでも、まさかここまでそんな被害は及びやしないと思って暮らしている。そのうちね、そのうち!といっているうちにやられかねない。
 足首に紐を結びつけて寝たあのおっさんを笑えない。
 こういう社会がやってきちゃうのは時代の趨勢でもうどうにもならないということなのか。歯止めができるのだろうか。多分無理なんだろうなぁ。
 あれだけ夕方のテレビ番組が「困った時のなんとか・・」のように盗聴機器の摘発物をやっているのに、どうしてあの種の機器の野放しがそのままの状態であるのだろうか。外国から輸入されてしまうと摘発しにくいのだろうか。それとも警察にとってはあんな捜査に注力したって経済効率は低い、とでもいうのだろうか。