ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

新宿

 今年のこのシリーズは今日が最終回で、年明けはまた14日から始まる。
 先日入手したプラチナのプレッピーなる格安万年筆のブルーでメモを取ったら色が薄くてあとから、この年齢の目には読みにくくてしょうがない。黒だな、やっぱり使うには。
 保阪正康は「オーラルヒストリー」という言葉に対して、ある種の机上でいじくり廻すというような、居丈高に構えた有り様を感じているようで、あれは証言の国有化、秩序化、占有化と表現する。それは多分彼が政策研究大学院大学が振りかざしてきた「オーラルヒストリー政策研究プロジェクト」あたりを評していっているのではないかという気がする。その取り組みの仕方について彼が実際に遭遇した、あるいはインタビュイーから聞いて、それが上っ面をなでるようなものだったという印象を持っているのではないかと思われる。
 こちら政策研究大学院大学がその成果について紹介しているが公刊物の目次を紹介している。私家出版したものは非公開になっていて、国会図書館に行ってくれとしている。PDFででも公開するべきではないだろうか。
 保阪は「オーラルヒストリー」ではなしに「聞き書き」という言葉を使っているということは前にも書いた。彼の解釈ではこの言葉が地に足のついた証言の受け取り方だということのようである。しかし、今や「オーラルヒストリー」という言葉は多くの分野で使われていて、日本オーラルヒストリー学会も今年で第7回の全国大会を札幌の北星学園大で開いている。
 今日は後半に毎日新聞・学芸部の栗原俊雄の話を聞くことができた。彼は1967年生まれの40代前半という若さで、これまでに岩波から二冊の新書を著している。

戦艦大和―生還者たちの証言から (岩波新書)

戦艦大和―生還者たちの証言から (岩波新書)

シベリア抑留―未完の悲劇 (岩波新書)

シベリア抑留―未完の悲劇 (岩波新書)

 1997年にレイテ帰還者の話を聞き、まだこんな話を聞くことができると気がついて、そこから始まったのだというのだ。相当に優秀なんだろうということが言葉の端々に溢れる脂ののった年代である。
 私は「戦艦大和」というタイトルでもう既に腰が引けてしまって、手にしていなかった。岩波なんだから扶桑社のようなところが書くスタンスとは必ずや違うんだということが分かっていながらである。しかし、副題をよく見ると「生還者たちの証言から」となっている。大和は最後には3,332人もが乗り組んでいたと書いてある。そのうち生還したのはわずかに276人。さんざんに探し当て、ようやく彼がインタビューできたのは電話、手紙のやりとりを含めて23人だったという。多分その時点での生存者はこれ+アルファーだろう。
 映画にもなった「男たちの大和」を書いた辺見じゅんは多分当時(刊行が1983年)百人ほどに逢えているのではないかという。この本は何回か再刊されているが、今では頭に「小説」がついている。事実ではない部分が含まれているからだろう。
 栗原がシベリア(実際に日本の将兵が強制労働された地域はシベリアだけではないが)に関心を持ったのは親鸞の新たに発見された資料について聴きにいった相手がシベリア抑留経験者で、取り上げられ方がまだまだ少ないシベリア抑留について調べ始めたのだそうだ。なにしろ日本軍の抑留者は全部で60万人といわれていて、現地では6万人が死亡したという。
 この話はかつて私が勤務していた企業の元社長が抑留帰還者だと聞かされた時から関心を持っていたけれど、栗原のような地に足のついた考え方が私にはできなかったということである。現在でも約8万人は生き残っているとのことで、彼等は補償を要求して、それでも戦ってきた。
 日ソは日韓と同様に相互に保証請求権を放棄しているので、彼等の強制労働に対する対価は日ソどちらからも払われていない。司法の判断は戦争被害受忍論に終始する。つまり、「国は(彼等が)死ぬのを待っている」(保阪)状態だという。保阪も栗原もいうのはいくら聞いても書ける歴史的体験と書けないものがあるというのだ。
 それだのに、Amazonにただ人から聞いた話を書いただけだろう、という評を書かれると報われないと栗原がいう。

証言者が言う内容をそのまま信じて書いているのだとしたら、この記者の見識を疑う。(岩波新書愛読者)

 なるほど、これのことか。
 近頃では若い人に「真珠湾」というと「それは三重県か?」と帰ってくることがあると栗原が言うのだけれど、ひょっとしてこれは本当かも知れない。


 先日撮った写真の媒体をカードリーダーにさして読み取ろうとしたら、媒体がカメラにちゃんと刺さってなかった。ということは、撮った写真は本体のメモリーに記録されているということだと気がついた。ところが直接パソコンにつなげるUSBコードが見つからない。小田急ハルクに入っているビックカメラにあがって、そのコードはないかと聞いたら、純正は4千円以上するという。何をするのかというので説明すると、カメラを見せろという。渡したらモードをいじって、設定からなんだかかんだかしたら、本体メモリーから媒体に情報を移すという機能があるんだというのである。恐縮してお礼を述べるのみ。なんだ、そんな簡単なことかだったのか・・・。
 下に降りていって蕎麦を食べる。ちょっと残念な状況で、こんなことなら紀伊国屋まで行って水山を食べれば良かったかもなぁ、と後悔する。。