ほぼ足りてまだ欲 その先

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そもそも

 テレビのワイドショー情報だから本当のところは私には分からないけれど、名護市にはこれまで500億円にのぼる資金が投入されてきていたのだという。それはつまり、普天間の移転を受け入れることを前提にして、撒き餌を撒いていたということなんだろう。これを受け入れてくれれるんだということで、こんな道路も造るし、こんな公民館も建てるし、というわけである。その話を聞いていて想い出したのは原子力発電所がある地方ではそれを受け入れる代わりに様々な形態の補助金やら給付金やらがばらばらと降り注ぐということである。
 そもそもこりゃなんだ。危ない、あるいは迷惑な施設の建設を受け入れてくれるというその太っ腹な地元のみなさんのご覚悟、ご苦労に対して敬意を表して設定されたものなんだろうか。だとするとその地域に住んでいる人たちはすべからくその施設の建設を受け入れたということになってしまうということなんだろうか。
 旧政権がこれしかないんだと主張する裏にはそれだけの金が名護市には費やされているんだということを意味しているのだろうか。
 昔からの表現を借りると「札束でホッペタをなでる」というようないやらしいやり方である。地元の人たちが受け要らざるを得なくなる、あるいは無理矢理うんと言わされてしまう様に持っていくというのがこの種のプロジェクトの一番巧いやり方ということになるのだろう。
 戦争中から、日本は沖縄を見るからに植民地でも見るような目線で見てきただろうという点は否定のしようがない。戦争末期の日本軍の現場指揮官が沖縄の人たちを見ていた目線は明らかに南方の非植民地の人たちを見る眼のそれであったといって良いのではないかと思う。
 戦後の米軍占領下中も、その後の日本復帰後も日本の中央政府が沖縄を見る目線にはそうしたものがあっただろう。(余談だけれど、立川談志を沖縄担当政務次官なんかにしてしまった政権だってあったくらいだ。)
 自民・公明政権の心の中には「ここまで基地だらけになっている沖縄なんだからこの際そのままあっちからこっちに移したって良かろう」的な思惑が働いていなかったといえばどうだろうか。もういい加減いつまでもこんな立場に立ち続けなくても良いだろう!と沖縄県民が思ったとしてもそれは当然だろうと思うし、それを支援しない他県日本国民ははなはだ狭量且つ卑怯だと思う。ひょっとすると米軍が完全に撤退したら沖縄は産業構造を大きく転換することができて変わるのかも知れない。そういう可能性を考えてはいけないのだろうか。
 普天間にいるヘリ部隊は現在、あるいは近い将来の近隣諸国との間に発生する可能性のある事態を想定して必ず重要なピンポイントなのかといったら決してそうではないはずだ。「これまで両国間で気の遠くなるような交渉を重ねた結果として辺野古に決まったのであって、そう簡単にひっくり返せる話ではないのだ」という自公政権の解説が説得力を持つのはその経緯が説明されて初めて理解ができるのかどうかという話ではないだろうか。それがその説明が公にされないのであれば、それは土俵に乗ることではないだろう。多分、安全保障上その種の説明はできないのだとするのだろうけれど、それではわれわれを説得することはできなくても仕方がない。