ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

33年

 私がこの地に暮らし始めてから今年の夏で丸33年ということになる。その間に外地にいっていた4年と2ヶ月半を差し引くとまだ30年になっていない。それでもこれまでの人生の中で最も長いこと暮らしている。
 生まれたのはオヤジの会社の社宅だったから、周りで日頃遊んでいるのはその社宅のガキどもばかりで、環境はほぼ似ていて経済的にもほぼ同じようなものである。当時の社宅だから今から考えてみるとどこかの市営住宅のような、あるいは炭住に毛の生えたようなものである。といっても今の人にはその「炭住」がわからない。木造平屋建ての長屋だったりする。内風呂なんぞはなくて、広場の片隅に風呂場がぽつんと建っていてみんなが輪番制で風呂を沸かす。子どもは火が燃えるところが大好きだから、当番の誰かのお母さんが来ると誰かしらが横について手出ししていた。
 勝手知ったる他人の台所ってなことをいうけれど、この社宅では子どもたちは全く垣根なしだったけれど、女の子がいる家には殆ど上がらなかった。なんでだろう。それでも受験期を迎えてからは殆どその地域の連中と付き合うことをしなくなった。自分が地域の学校に進学しなかったことが大きい。
 40年ほど前に下町にある連れ合いの実家に初めていった時は驚いた。そこは自分が幼い頃のあの遊んでいた状況がそのままだったからだ。すぐ傍に住んでいる親戚や田舎から出てきて店で働いている親戚なんかが周りにいて、遠慮というものが全くない。祭りになったらもっと垣根がない。店先を通り過ぎる町内の半纏を着た連中は随分前からの知り合いのようだけれど、良く聞いたら顔は祭りに見るけれど、誰だか知らないなんという。
 連れ合いの友達のうちに上がり込んだら、そこの姉妹の他に足の踏み場がないくらいに脱いだ履き物があって、みんなでテーブルを囲んでいる。私が誰でどんな関係なのか紹介もされなければ誰も聴きもしない。それでいながら杯を交わして喋っている。
 暮らしてみて分かるのは、屈託がないけれど、どうもなかなか地の人間と認識していなさそうな雰囲気である。悪くはないんだけれど、そして知らない顔もしないんだけれど、どうも諸手を挙げて友達づきあいをしてはいなさそうなんである。来る奴も拒まないけれど、去る奴も拒まないんである。面白いのである。