- 出版社/メーカー: 都市出版
- 発売日: 2010/02/03
- メディア: 雑誌
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私の高校は品川にあって、あそこには落語の品川心中やら居残り佐平次でおなじみの品川の遊郭もあった。地元の同級生の話では小学生の時までそんな店がずらっと並んでいて、一緒に歩いていたオフクロにあれはなんだと聞いたら、「お風呂屋さんよ」と答えたという。子ども心になんで風呂屋ばかりがこんなに並んでいて、必ずお姉さんがちらほら見えるんだろうと思ったという。そんなに風呂屋が並んでいて堪るかってんだ。
吉原は格式があって、文化があったんだからその辺の岡場所とは違うんだという話もあるだろうけれど、要素としては同じだよなぁと思ってしまう。あの囲まれた中だけじゃなくて周辺にいろいろあったんだよというのは落語を一生懸命聞けば(良いですか、こんなものは一生懸命になるモンじゃないですよ)、そんなのもよく分かるようになる。
落語の中には廓の噺は目白押しである。さっきの二つどころか、あれもこれもそれも数え切れないほどの廓話が高座に上げられる。もう、何十年もそんなところはない、ということになっているにもかかわらずである。寄席で廓噺がかかると隣に連れ合いがいる時はどうもきまりが悪い。
そんなことを云うのであれば、こんな雑誌買わなきゃ良いのにね。
桂歌丸が真金町の遊郭の息子だったんだという話をしている。彼の落語はどうも江戸のフラがない。巧いんだけれど、なんか生活感がない。それは若い頃から恵まれた噺家生活を送ってきたからじゃないだろうか。いやいや、本当がどうだったのかなんて私はこれっぱかりも知らないんだけれど、思い込みでそういっている。
1960年代の終わりに横浜駅から東海道線で品川に行こうとしていた私の目の前に歌丸がやってきたなぁと思ったら(なんであんな時にあれが歌丸と分かったんだという話もあるけれど)、なんと彼がグリーン車に乗ったのである。その時に私は正直、がっかりした。ひょっとしたら彼は大変に疲れていたか、あるいは病後療養中だったのかもしれないのだけれど、昼過ぎのがらんとした東海道線でグリーン車に乗った噺家は当時の学生にはなんか許せない存在に見えたのだろう。多分当時、彼は30代そこそこだ。なぁに、大したことじゃないんだけれど、人間はこんな思い込みを死ぬまで持って行っちまうんだという話である。
私は「お直し」を聴いていると出て行って、「やめろ!やめろ!」といいたくなる。実に侘びしい噺じゃないか・・。