ほぼ足りてまだ欲 その先

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東京ローズ

 twitterで電子版・産経Web-Sの方は、過去18年分の記事検索ができると書いている人がいたので、サイト上の記事検索で「東京ローズ」を検索してみた。
 するとその肝心の「過去18年分」に関係しているとはとても思えないのだけれど、昨年の12月20日の【昭和正論座】というコラムが引っかかった。それは佐藤欣子という2008年12月24日に74歳で他界したやめ検弁護士が書いた1977年2月4日掲載のものの再掲である。
 この年の1月に「東京ローズ」ことアイバ戸栗・ダキノは大統領による特赦で6年あまりの牢獄生活から放たれている。佐藤はアイバ戸栗・ダキノに関する知識について「断片的なニュースと一冊の本、『東京ローズ』(ドウス昌代、一九七七年)を読んだだけである」と書いて、次のように続けている。

彼女自身は、市民権を放棄しなかったために反逆罪に問われ、彼女の無実の主張に反して、アメリカの法廷で、アメリカの市民によって有罪を宣告され、重い刑罰を受けた。
 しかし、それら総ての事実にも拘わらず、彼女は自分をアメリカに属するものと考え続けてきた。そこには深いコンプレックスを認めることができる。彼女の両親は日本人移民であったが、彼女には、日本人になることを選択する気も全くなかったように見える。昭和十六年日本に初めてきたとき、彼女はその劣悪な生活条件にあきれ、「アメリカの市民権を持つ幸運」を素直によろこんでいる。また食糧不足とインフレの戦後間もない日本は彼女にとって地獄のようであった。
 彼女のアイデンティティ、彼女の忠誠の対象はアメリカであった。そして彼女は、まさに市民権を放棄しなかったことによって成立する反逆罪の裁判で、自分がアメリカの市民権を守り通したこと、いわばアメリカに操を立て通したことを訴えることによって、アメリカの寛恕(かんじょ)を期待したのであった。「自分は反逆罪になるようなことはいっさいしていない」という彼女の確信は、彼女のこのような忠誠心、日本的誠意に即して考えればもっともであった。
 彼女は余りに日本的であった。そしてこの日本的誠意がアメリカ人に通じると考えたとき彼女の悲劇は始まったのである。

 佐藤はドウスの著作を読んだといっている。だとすればアイバ戸栗・ダキノの父親がどの様な方針で娘を育てたのかを知らないはずがない。それとも読み落としたのか、この原稿を書いた時には失念をしていたのかもしれないが、アイバの父親は娘を日系二世として育てようとしていなかったことは明確である。だから、アイバの感情があまりに日本的な誠意に基づいていて、だからこそ悲劇となったという佐藤の解釈は到底あたらないものと、私には思える。
 そして2009年12月20日にこの32年あまり以前の佐藤のエッセーを紹介した「(石)」なる記者はそれをそのまま引用して「日本人に日本的であると同時に国際感覚の大切さを訴えた。彼女の複雑な心境を法律家の立場から思いやった論文だ」と紹介している。アイバ戸栗・ダキノを論じて日本的な誠意に焦点を当てた解釈を読んだのも初めてなら、それを紹介して日本人に「国際感覚の大切さ」を諭す流れには驚くが、それを産経新聞がいっていることにも大きな驚きを禁じ得ない。