ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

昨日は岩本町

 岩本町あたりを歩くことなんて一体全体いつ以来のことなのか記憶がよみがえらない。洋品屋をやっていた友人が仕入れに来る時に一緒に歩いた馬喰町あたりも含めると数年ぶりかもしれないけれど、岩本町という町名のついたところに行ったのは15年ほど前だったかもしれない。
 何しろいったことのないところなので、どれくらい時間が分からない。若い人は少しくらい遅れたって、という感覚なのかもしれないけれど、われわれのような年齢になると「遅れちゃならじ」という強迫観念に駆られて早めについてしまう傾向にある(会社員をやっていた時はどうして遅れても平気だったんだろうか・・笑)。到着してみるとまだ開いていないようで、3人ほどの同年配が立ち尽くしている。オープンの時間までまだ間がありそうだ。
 というので久しぶりのこのあたりを散歩しようじゃないかと歩き始めるとすれ違った同年齢カップルが「前も早く来すぎちゃって待っていたっけねぇ・・・」といっている。当然同じ目的を持ってやってきたに違いない。ちょっと歩くと今の若者向けと覚しき衣料問屋の店先に一見カントリー・シャツもどきの刺繍が入った綿シャツが飾ってある。あ、面白いかもと入っていくと、明らかに私よりも年上と覚しきおじさんがいる。やれサイズがどうだこうだ、もうちょっと派手なのはないのかといっているうちに入手。一体どこで着るんだという指摘あり。
 今日の会場はどこかで聴いたようなパターンなんだけれど、ある衣料品やさんが趣味が高じてビルの地下に造ったというライブハウス。入ってみるとフローリングの面一(つらいち)の床で、YAMAHAだけれどフルコンサートのグランド・ピアノがでぇ〜んと置かれている。いや、これはすごい。PAの卓にいるおじさんだって良い歳で、お手伝いの人たちもみんな良い歳だ。わずかに飲物カウンター(飲物が高すぎる)にいる人が若いくらい。レセプショニストのお兄ちゃんが愛想のないのが玉に瑕だけれど、こういうのはどこにいってもいるね。壁にはさすがに衣料品やさんというか、分厚い深緑色のカーテンが走らせてあって往年の「銀巴里」を想い出させる。
 聴衆の殆どはピアニストの長部正太の知り合いの様なので、あっちでもこっちでも「やぁ、やぁ」という声が飛び交う。(考えてみるとこの「やぁ、やぁ」という挨拶って日本語としてとても不思議な感じがする。この感覚、日本的でないような)。
 後藤芳子の「I Left My Heart San Francisco」から始まったのだけれど、後藤芳子が唄うこの歌は聴いたことがないなぁと思っていたら、本人が1970年にはSan FranciscoのBush St.にあった「Bush Garden」で良く唄ったけれど、あれからは唄ったことがなかったという。この歌はWikipediaによればGeorge Cory作曲、Douglass Cross作詞で、後藤芳子の話に寄れば作者があの店にやってきて(多分作詞者だろうか)「verseから唄ってくれてありがとう、あそこがないと詞が完結しないんだ」といったそうだ。なるほど、その通りで、この歌だけverseからやれる私としては嬉しい話だった。
 そのBush Gardenというピアノ・バーが当時の長部正太の仕事場だったのだけれど、そこには現地の駐在員たちも呑みに来る店のようで日本語も飛び交っていた。あれからもう40年だ。
 ちょっと重いリズムだったけれど、米国人と覚しき若いドラム・プレイヤーのドラム・キットは驚くようなもので、バスドラはバスタムを倒したようだし、バスタムはタムの深めの奴だ。軽量化対策か。