ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

雨の中

 昨日から雨は断続的に降り続けていて、寒い。手袋を取り出したくらいだ。襟巻きだって長い方を持って出た。長い本格的傘を持ち、コートも真冬バージョンになった。
 木曜日の新宿にいつもの時間に行くと、今日の聴衆はひとりでふたり分の席を平気で占拠する方たちばかりで、とうとう後ろから3列目に後退した。ここまで下がってくるとレクチャラーの声が小さいのと滑舌がそれほど良いわけではないことと、私が多少耳が遠くなってきているようなので、聞き逃すことがあって、集中力が削がれやすくなるのが残念だ。
 この講座では教材費というものが徴収されていて、なんだろうと思うとレクチャラーがその時のテーマに絡んだ資料を刊行物から部分的に提示して下さる。できることならば、こうした資料をどこかで図書館のようにして賃貸してくれると良いのだけれどなぁと思う。今度提案してみたい気もするけれど、そんなスペースがどこにあるんだという話になるのだろうなぁ。しかし、費用を徴収している以上、その資料が個人のものになってしまうというのはどうも腑に落ちないのだ。
 前にも書いたけれど、「浅草堂酔夢譚」という99分間ノーカット映画を企んでいる若手監督がいて、この企画のスタッフの方から昨日メールが来た。撮影の下敷きになる音声テープを作成中で、そのための声とりに来て欲しいという。飯田橋である。そういえば私はもう何年も(こんなセリフばっかりだ)飯田橋に降り立った記憶がない。あるのはギンレイホールにいった時と神楽坂で酔っぱらった時くらいだ。
 新宿から行く、ということになると昔だったら当然総武線になる。ところが都庁前からだったから、すぐに大江戸線に乗った。新しい行き方を会得したみたいでわれながら少々自慢げにそうしたのだけれど、目的地が東京大神宮の傍で、なんと延々と歩かなくてはならない。この駅の中で何か災害が起きたら、私は生き残ることのできる自信が全くない。今自分がどの辺にいるのか全く見当がつかない。すっかり草臥れた。構内図を見たらA4出口で出ればよいというのが分かったから、そこまで地下で行く。さて、そこで外に出たら、一体自分がどこにいるのかが分からない。
 取り敢えず腹を満たさなくてはならんなと辺りを見回すと路地に小さな洋食屋のような扉が見える。ランチ・ハンバーグと書いてあって、私好みだ。メニューを見ると日替わりランチが一番大きく書いてあるけれど、一番上にハンバーグ定食950円と書いてある。安くはないけれど、ハンバーグと何かの取り合わせメニューもいくつかあるくらいだから、ここのハンバーグは自慢なのに相違ないと見当をつけてハンバーグ定食を発注した。これが大失敗だった。まるでレトルトのハンバーグみたいで、フニュフニュなんである。歯ごたえもなんにもない。焼いちゃいないな、という感じだ。今の青年たちはこの類が好きなのか。大変に残念な思いを抱えたまま、え〜い!こっち方向だろうと歩き出し、角を曲がったら階段だ。取り敢えず上がってみようと行くと、なんと正に目的地の真横に出たのだった。自分の人生とはかくもかけ離れた方向感覚に驚嘆したのだけれど、こんなところにしか才能がないことを今度は嘆くのだった。
 音録りはとにかく尺が決まればいいわけで、この際演技力なんてどうでも良いわけで、10分も掛からずに終了。予定を半時間は縮小できたわけで、そのまま駅に向かわずにかねて行ってみたいと思っていた焼き鳥屋を探すけれど、とうとう発見できず、代わりに今度来ることがあったら食べてみたい昼飯屋をいくつも見付けてしまう。
 一旦家に戻り、先輩のところにお借りしていたDVDをお返しに上がる。大変に長いことお借りしてしまったのに、また次のものをお借りする。ふたりで呑みに行く。カウンターでのみ且つ語っているうちに後ろの座敷に若者グループがやってきて、わぁわぁ騒ぐ。なんで周りのことを考えずにあれだけ嬌声を上げることができるのかと親の顔を見たくなる(もうこんなことをいっても多分それが何を意味するのか分からないかもしれないな)が、こっちも負けじと語り、笑う。昔のことを「今だからいえる」大会になり大笑いする。あっという間に酩酊して23時頃帰宅。そのままパタンと寝てしまうと明け方4時半に目が覚める。