ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

潜在的に

 悲しいかな、人間の心の中には気がつかないうちの行動の中で偏見が潜んでいるんだろうなぁというのは異文化圏から来た人たちと接すると、時々感じることがある。自分がなんとなしにそう抱いているんじゃないかということに気がつくこともあるけれど、相手の行動にそれを感じることの方が多い。
 それはどうしてなのかというと自分が理不尽に見られている時の方が、自分が理不尽に相手に対してみている時よりも気がつくチャンスが圧倒的に多いからに相違ない。だから多分自分で理不尽な見方をしていることに私は多分気がついていないのだろう。人の振り見て我が振り直していないのであるな。
 なんでこんなことを回りくどく書いているのかというと、写真を整理していて思いだしたことがあるからだ。
 それはデンマークコペンハーゲンで「Rosenborg Slot」という古くて小さい城を見に行った時のことだ。この城には地下に金銀財宝が山と保管されていて薄暗い中で公開されている。いや、それは本当にどうしてこんなものを持っているんだろうというほどの宝の山だ。
 夏の旅行シーズンだから、欧州各地からも観光客が訪れているわけだけれど、スカンジナビアには米国からのクルーズがどんどん、ジャンジャン入ってくる。その日も何隻ものクルーズがいたらしくて、それでなくても小さな城は押すな押すなの大盛況である。
 城が小さいから階段も狭い。西洋の城には縁側とか廊下的なものがないから移動の際は一つしかない通用口ですれ違う。こっちから人がぞろぞろと行くと、たまたま反対側にいた人はその人の流れが終わるまで待っていなくてはならない。こんな時、日本人だったら無理矢理に入っちゃって流れを遮るだろう。ところが米国人のおじいさん、おばあさんは習慣として、それは失礼な行為だし、礼儀を失していると思っている。だから、無理矢理ができない。ならば、人の流れが切れるまで待っていればいいのに、我慢がならない。なんでか。その流れが東洋人の流れだったからである。それで人の流れに対して「Excuse Me !!」を連発する。東洋人はどこふく風である。その剣幕の裏には「なんで東洋人如きにこんな扱いを受けなきゃならないんだ」という差別意識が見え隠れする。
 ミシガンの野球帽を被った親父が私たちと前後して歩いているが、こいつがまた私たちが見物しているのを如何にも邪魔だという言動をする。ムッとしたから彼が覗かなかった部屋を「見たの?」と私は彼の行動をなにも気がついてない風を装って聞いたら、なんと非常にアンフレンドリーなことに彼は「NO!」と叫んだっきりだった。馬鹿な親父である。こういう団体を見てしまうから米国人・ツアーは東洋人ツアーと同じように嫌がられる。
 ここの宝物には中国にも見られるような象牙の細かい彫り物がある。誰がどこで彫ったんだろう。
 このお城は随分とうるさいことをいうんだそうで持ちこむものはとても小さいバッグだけだ、といっているんだそうだけれど、どうも見ていると米国人ツアーは全くそんなものを無視しているようだし、係員も何も云わずに通している気配を感じる。
 どこの国でも老人は傾向として潜在的差別感を払拭できずにいるのだろうか。