ほぼ足りてまだ欲 その先

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整理がつかない

 明日は敗戦宣言の日だ。65年が経った。いつでも私の年齢より2年上回る。追い越すことはない。公式には日本が降伏をしたのは1945年9月2日。東京湾の米国戦艦ミズーリ号上で重光葵全権大使が降伏文書に調印。これで降参だった。この時カナダの代表が欄を一行とばして署名をしてしまったために一番下段にサインするはずだった代表の欄がなくなってしまって、タイトルが手書きになっている。2007年11月に衆議院憲政記念館での重光葵展を見に行った時に、その降伏文書も展示されていた。
 日本は連合国と戦争をしていたのは確かに1941年12月からかも知れないけれど、そのずっと前から中国に侵攻した。だからずっと戦争が続いていたわけで、あの4年間だけが戦争だったわけではない。中国なんて簡単にいうことを聞かせることができるだろうと思っていた節がそこここに見ることができる。
 1931年9月18日夜、奉天郊外の柳条湖で満鉄の線路が爆破された事件に端を発してそれ以降様々な事件が起き、それらは中国が一方的に日本軍に対して仕掛けてきた事件で、これは怪しからんと「断固膺懲」、つまり「懲らしめる」ことになって、現地抵抗ゲリラ「匪賊」を追いかけ回すことになる。
 当時のこうしたものの見方の正否はそれ以降公式に歴史的検証が行われてきたのだろうか。
第1期「日中歴史共同研究」報告書というものがある。こちらの外務省のサイトからpdfの形でダウンロードができる。「2006年10月の安倍総理大臣(当時)訪中の際、日中首脳会談において、日中有識者による歴史共同研究を年内に立ち上げることで一致。同年11月、APEC閣僚会議の際の日中外相会談において、歴史共同研究の実施枠組みについて合意」して進められた活動の一応の成果として発表されている。
 国際日本文化研究センター戸部良一が「第2部第1章:満洲事変から日中戦争まで」を担当していて「急進的な軍人たちは、謀略によって日中間に衝突事件を引き起こし、満洲の「危機」を強引な武力行使によって一挙に打開しようとした」と指摘した。しかし、この考え方が広く一般に受け入れられているかといったらどうやらそうでもないらしい。この研究報告自体も某新聞を先頭に否定キャンペーンされているといっても良いだろう。
 NHKNHKスペシャル「玉砕 隠された真実」がアッツ島パプアニューギニア等での玉砕という言葉でくるまれた全滅の実態を報告していた。大本営は「山崎部隊長は増援の要請も出すことをせずに」「皇軍の真髄を発揮せんと決意し、全力を挙げて壮烈なる攻撃を敢行せり」と発表したけれども、実際には一個大隊半の兵力と物資の増援を要請していたことがわかった。大本営は負けてしまった拠点については、そのままそこに放置した。「虜囚の辱めを受けるな」とだけ教え込んで、そのままにした。だから奇跡的に生き残ったほんのわずかな人たちは米寿を超えて長生きしたにもかかわらず、おめおめと生き残ってしまったことに悩み続けることになる。それもこれも日中戦争からアジア太平洋戦争に至る十数年間に総括・検証がされずに来てしまったことによる。
 そんなことはなかったと云ってしまえば終わることができてしまうのだろうか。生き証人たちがこの世を去ってしまったら、もうなにもなかったことになるのだろうか。
 今のこの国の繁栄はあの戦争で犠牲になった英霊の皆さんを礎に成り立っているといういい方は巧いいい方だ。「聖戦」を信じて、その理念のまま人生を終えた方々はある意味では幸せであったのだろう。しかし、それは洗脳されたが上での幸せであるだろう。どうしてこういうことになってしまったのだろうか。あの戦争はなんのために闘ったのだっただろうか。どこまで行ったらどうしようとする戦争だったのだろうか。後から理由はいくらでもつけられるだろう。なぜ米英は鬼畜だったのだろうか。なぜ中国は膺懲されなければならなかったのだろうか。
 いいたいことは山ほどあっても、それの整理がつかない。多分死ぬまで整理はつかないんだろう。
 「追記」:NHKの上記番組を見ていたらアッツ島守備隊から要請のあった増援物資の中に「圧縮口糧」という文字があった。1970年頃米軍の携行糧食を貰ったことがあったが、缶詰とプラスティックの袋に密閉されたものが入った箱だった。缶詰は二つあって、大きい方は肉だったりスパゲティだったり箱によっていろいろだった。小さい缶は開けるとパンが入っていた。そしてその下からもうひとつ平べったい缶が出てきて、その中はバターだった。袋は開けると4-5本のタバコ、ペーパーマッチ、インスタントコーヒー、爪楊枝、というようなものが入っていた。
 では、当時のその「圧縮口糧」とはなにかと捜すと、こちらに「玄米アラレを主食、乾燥鰹節・梅干し・田麩を副食として圧縮し缶に詰めたものだそうな」と書かれてあるのを見付けた。