ほぼ足りてまだ欲 その先

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混在することに意味がある

 日本の大学の学部在学生の殆どは小・中・高校を卒業してそのまま進学してくる。浪人して入ってくる学生ももちろんいるのだけれど、それでも99%くらいはまだ10代で入学してくる。それなのに最初のコンパで直ぐに酒を呑むのはどうよという話もあるが、それは昔から見て見ぬ振りをしてきたものだから、時々急性アルコール中毒になって急死する学生がいる。
 社会は大学生になったんだからと一社会人として解釈しようとするし、学生たちもその気になる。それは昔からそういう扱いをするものだとされてきたからでもある。ところが一気に大学進学率が高まってきたものだから、かつて(それって一体いつ頃の話だよ、ということになるのだけれど)の大学生なんかに較べたら遙かに成熟度という意味でも明らかに幼い。半分冗談だけれど、昔の学生は写真で見るとみんなおっさんのようだ。
 私自身もあんまりよくは知らないけれど、かつてちょこっとずつ滞在した外国の例を引くと高校を卒業してから大学進学の権利を一旦取ってから、そのまま進学しないで社会に出て、やりたいことが明確になってきてから大学に入ってくるというところもあるし、大学そのものがアカデミックな勉強、研究をするために最低限必要なスキルを手にしてそこから専門性を高めるために一旦社会に出たり、あるいは直接大学院に進学するというところもある。
 だから、大学の学部や院に様々な年齢の学生が混在しているのが当たり前で、その中では当然の如く社会経験を多く積んでいる学生とそうでない学生がいて、だからこそ思いもよらない発想に直面したり、可能性に目覚めたりするんだろう。
 大したことのない私の経験からいうと、モノ・世代が創り出すモノ・カルチャーはおくがなくって、はっきりいってつまらない。次から次に物事が波及していかない。じゃ、こんな時はどうなんだ、あんな時はどうなんだという想像力が働かないから創造力に物事が及ばないのだ。
 ところで世の中の団塊爺婆が還暦を超えて時間ができると、自分が興味を持っていたけれど極めることができなかったことを、ようやくここで時間を見付けることができはじめている。この人たちが大学に帰っていけばいいのになぁと思う。それが大学の文化を高めることになるだろうと想像する。多分えせ賢明なる若い諸君は、邪魔だ、就活妨害だというかもしれない。
 しかし、大学を大学たらしめる文化を本当に大人領域にある文化とするためには考えても良いシステムではないだろうか。
 偉そうにうんちくを垂れる爺婆がやってくるのも考え物か。
 「板書が汚くて読めない」というリアクションペーパーを書くような大学生ははっきりいって要らないもの。大学という場で何をどの様に学ぶかという議論が世の中で議論されるようにならないとこの現状は変わらないだろうなぁ。