ほぼ足りてまだ欲 その先

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江戸っ子ってなんですか

 今日のテレビ東京の「和風総本舗」は何代も続く浅草のお店の人たちにそんな質問をしながら歩いていた。やっぱり表側が中心で、あんまり裏の人は取り上げられないのはしょうがないのかもしれない。
 概ね知っているお店ばっかり。それでもこうしたテレビに出てくる常連さんも少しずつ変わってきたかもしれないなぁという気がしないではない。手ぬぐいやさんだって今夜出てきたのは「ふじ屋」だった。
 日頃良くでるところといえば、駒形どぜうの渡邉さんや色川の旦那、だったけれど、他に出てくる人たちも見たことのない店というのは殆どいなかったようだ。仲見世も雷門二丁目も寿四丁目も浅草三丁目も、駒形もまんべんなく出てきたんじゃないだろうか。
 それにしても「もんじゃ」に「名店」はないだろう、持ち上げすぎだよ。「もんじゃ」なんてのは駄菓子屋の奥で子どもが五円玉を握りしめてやってくるというものだ。そういう見え透いた扱いってのは気を遣うというんじゃなくて、嫌みになる。
 人のことはいえないが、テレビでは初めて見たあの旦那も随分老けた。子どもの運動会でオヤジ同士、手伝った頃は向こうもこっちもまだ若かった。久しぶりで通りかかっても声を掛けなきゃ両方とも気がつかないだろう。
 みんな何代も続いているんだといえるだけ羨ましい。うちなんてこっちの親は二人とも岡山だし、連れあいの方は両方とも山梨だ。チャキチャキの田舎出身だよ。しかし、上野から東も北もそうやって地方から出てきた人たちばっかりさぁ。東武線や京成線の沿線で聴いてごらんよ、みんな北関東から東北の訛り丸出しの爺さんや婆さんばっかりだ。
 それでも連れあいは生まれも育ちもこの地だから、今年のまつりの時にも、町会のおばさん(ッたって、私から見てのおばさんだけれども、その辺の若いのから見たら立派なおばあさんだ)に「あらぁ、良い東京言葉を話すわねぇ」といわれて喜んでいたなぁ。私が意識すると噺家が喋ってるみたいになっちゃうからやらない方が良いといわれたものさ。
 よそからやってきてもう35年になるのだけれど、ここではそんな点では「まだ」という気持ちになる。本当のことをいうと、ずっと地元で暮らした人たちは周りに子どもの時からの知り合いがいて、いくつになっても、ガキの頃から変わらない関係の人たちがいることが羨ましくもあるし、面倒に思わないでもない。喧嘩っ早いというのは事実な気がするし、何時までも根に持っている奴だっているし、意固地になる奴は意固地になったままずっとそこにいるんだから、面倒といえば面倒だ。
 会社勤めの傍ら、地元の人たちと一緒になって活動したという日々を考えるとおかげで、この地域に知り合いが広がったから御の字だけれど、そんな活動から足を洗ってしまうと私の場合は全く違う世界に興味を持ってしまうので、すっかり途切れてしまう。
 私の場合は子どもの頃からの転校生活が身に沁みてしまったのかもしれないなぁという気がしないでもない。