三年以上前(こちら)にこのブログに書いたことがある、戦後初めて豪州に行った日本籍船、「オリエント丸」(第一汽船所属)のこともほんのちょっと朝日新聞の記事で検索してみた。
- 1951/10/11:英国から買い取った第一汽船のオリエント丸は10月10日に神戸港を出港し、長崎で修理を施し、門司でセメントを積んだ。これをインドのカルカッタでおろし、代わりにインド炭を積んで、アデレイドでおろした。(豪州にインドの石炭を持っていったんだから、今から考えたら不思議この上ないことになる)。この航海に出るにあたって、豪州政府の保証は取れたのだけれど、強くて有名な豪州の港湾労組の保証が取れないまま出掛けたのだと書いてある。
- 1952/03/01:アデレイドで大麦を積み込んで、New South Wales州のNew Castleへ寄港したらしい。しかし、豪州の記事でも何をしに寄ったのかが明らかでないのだけれど、ここでも明らかにならない。しかし、確かに船長の名前が若林だったことはこの記事で確認された。
ところで、では定期航路の貨物船はどうだったのかというと、その第一号についてはこの記事でわかる。