ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

「ふう」「てい」

 今は世の中の風潮がすっかりフランクなものとなってしまったので、どこへ行くにもカジュアルな風体、心が許されるようになってきたなぁと実に感じるのだけれど、これが豪州なんぞに行くと、それにもましてカジュアルだらけの世の中で、彼等が驚くほどのフォーマルな格好をするのは年に一回か二回だし、そのうちの一回は多分職場のクリスマス・パーティーじゃないかな。これはもう11月くらいから始まっていて、一旦家に帰って(なにしろガンガン吞むから)、着替えて街中に出掛けるんだけれど、オイオイ、何時そんなものを持っていたんだよというくらいだ。多くの場合は借りてくるらしい。高校の卒業が近くなると正装してパーティーがある。それももちろん借り物。
 友達の結婚式に出席したのは20代、30代だった。最初は当時の世の中の決まり事(別に誰かが仕様書を書いて決めた訳じゃないけれど)だった、略式礼服といわれる黒い背広上下に白いネクタイでいった。直ぐにその辺の爺さんと同じ格好なのが嫌になって、シャークスキンの背広をどこかで買って、それに蝶ネクタイをして行った。ところが本当は蝶ネクタイをするのはタキシードであって、これはアフター・ファイブであるべき。午前中ならばこれが当然の話としてモーニングを着るのが正装なわけだ。しかし、モーニングなんて持っているわけがない。だって、何時着るんだっての。
 それに蝶ネクタイはカマーバンドをして、しかもヘチマ襟の上着で、ズボンは側帯があって・・・・。
 うちのオフクロがそれを見ていたら、多分いっただろうな。「そんな中途半端な格好をして、人様の晴れの舞台にお伺いするだなんて、止めて頂戴!「ふう」が悪い」と。
 うちのオフクロは岡山の出身なので、この‘ふう’ということばを多用した。人様に嫌な思いをさせることであったり、あたりの習慣を逸脱することだったりすることをそう表現していたのだろうと私は解釈していたから、余計にそのあたりを適当にしたかった。これと同じ表現をわが家人の母親は山梨の出身で、それを「てい」がわるい、と表現していたのだそうだ。
 ちなみに、私は冬仕様のモーニングを所有している。これはなんと一式で3,000円である。かつて住んでいた町内に貸衣装屋があって(もうどこかに引っ越してしまったのか止めてしまった)、そこから下取りしたものを格安に売っている店があったのだ。この値段だと気楽に買える。買ってどうしたのかというと、あの縞模様のズボンが欲しかったのである。
 あ、そういえば未だに袖を通していない黒の普通のディナー・ジャケットを15年前に買ったなぁ。もう体型が変わってしまって着られない。