「自分の人生を終わりにしたかった」からって、バスの中に入っていって包丁振り回すか。どれだけやけになっていたんだ。ひょっとしたら、彼は本当にそんなことをやってしまった成り行きに、自分で自分が抑えられなかったことがなんでか分からない内にこんな大それたことをやってしまったことに、おろおろしているのではないか。
包丁を持ち出して歩くなんて普通の人間はやらない。やるはずもない。彼はこんなことをやるために持っていたのではないかもしれない。自分で自分を突き刺してやりたかったのかもしれない。なのに、あの駅前のバスを見ているうちに、ハッと気がついたら包丁を手にしてバスに乗り込んでいたのかもしれない。
かも知れないばっかりだけれど。
でも、包丁を持って家を出たのは事実で、もうそれで彼の犯行は不特定多数を対象にした計画的犯行だということになる。多分殺人未遂での起訴を検討することになるだろう。
そんなつもりはなかった、なかったけれど、持って出てしまった。そんなことができるんだったら、なんで他にエネルギーをつかえなかったんだ、と思ってしまう。秋葉原の加藤某を誰もが思い出すだろう。
頑張ったりなんてできない奴は普通にいるんだよ。立派な社会的スタンスを取れない奴ってあそこにもここにもいるんだよ。みんながみんな「自分を見付け」ちゃったりできないさ。壁を乗り越えたりできる訳じゃないんだよ。それに壁を乗り越えたかどうかなんて誰にわかるんだよ。誰がそう判定できるんだよ。恵まれすぎなんだっていわれたって、その言葉は一体誰にとっての駆動源になるっていうんだろうなぁ。明るく、目端が利いて、スマートに暮らせる奴は採用で、そうじゃない奴はどこまでいっても不採用なのかなぁ。
だからって包丁振り回しちゃダメなんだなぁ。わかっているのに。