ほぼ足りてまだ欲 その先

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アイヴァ戸栗郁子

 東京ローズとして国家反逆罪に問われ、その後市民権を回復した、アイヴァ戸栗郁子が死んだのは2006年9月のことで、享年90歳だった。
 この年の文藝春秋の12月号の巻頭随筆に、1982年に講談社出版文化賞ノンフィクション部門を受賞した「東京ローズ—反逆者の汚名に泣いた30年」(サイマル出版会 1977/01)を著したドウス昌代がそのアイヴァ戸栗郁子の想い出を短く記している。
 ドウス昌代はアイヴァが亡くなった9月26日の一ヶ月前に一年ほど京都に出掛けるので、といってカリフォルニアからシカゴ近郊に住むアイヴァに電話を入れた。

「一年も留守では、私の年じゃ何が起きても不思議じゃないけど・・・あんたも元気でね」
 30数年にわたる付き合いで、彼女が日本語だけで話すことは、これまでなかった。それは日本語を最初の言葉として育った人の、よどみない日本語であった。
 日本語をさしはさむ会話はこの数年、少しずつふえていた。そうとはいえ、アメリカを決して裏切らなかったという自負を抱き続けてきた彼女は、それまで私の前でさえ、日本語を話すことに用心深かった。

 と、その時の会話を思い出している。
 私はこの様子を読んでとても違和感を持った。というのは、こちらでも書いたように、彼女の日本語は流暢なものだったという証言もある一方、こちらでも触れたように、最所フミも「エコノミスト」の記事の中で「日本語はひと言も喋れなかった」といっているし、そして当のドウス昌代の「東京ローズ」によれば、育てられ方からいって無理もないとしている。
 これはどういうことだろうか。彼女たちの「二世」世代が日本語を喋るといっても、多くの場合は「日本語を最初の言葉として育った人」の日本語とは異なる。しかし、ここでドウス昌代は「よどみもない日本語」だったとしている。アイヴァは「用心深く」喋ってきたというから、時と場合によって使い分ける習慣を持っていたのかもしれない。
 とすると、変名を多用していて、誰が誰か良くわからないといわれている五島勉東京ローズ残酷物語」を入手する必要がやっぱりあるのかもしれない。この本についてはこちらの方のブログが大変興味深いし、この方は一気にまとめておられる。